「山田孝之シリーズ」のフォーマットは「ガキ使」と同じ
『山田孝之の東京都北区赤羽』ではロケバラエティの撮影方法だったというが、『山田孝之のカンヌ映画祭』も、最初に達成が困難な高い目標を立てて、それに向けて奮闘する過程を描くバラエティのチャレンジ企画のフォーマットに近い。
「『赤羽』が終わった時になんか既視感があるなと思ったんですよ。常軌を逸した人がなんかおかしなことを言い出して周りが巻き込まれる構造ってどこかで見たことがあるなって。やっぱり『ガキの使い(やあらへんで!)』なんですよね。松本(人志)さんが急に『エビアン汲んできて』って言うのもそうだし、『バタフライで世界一になりたい』って言い出したかと思えば全然やる気なくて、周りの浜田(雅功)さんやココリコたちが一生懸命やらせる、みたいな企画があったじゃないですか。それだ、って後から気づいたんですよね。だから僕は『ガキ使』ってフェイクドキュメンタリーの一種だと思っているんですけど、松本人志を山田孝之に置き換えているんですよね。
“桂馬飛びくらいのフェイク”なら許されるんですよ。あまりにもぶっ飛びすぎると冷めてしまう。だから山田孝之が映画を作るにあたって『脚本いらないです。絵が脚本です』って言うのも、ぶっ飛んではいるけど、山田孝之なら言いそうっていうのがあるじゃないですか」(竹村)
山田孝之はカンヌに出品する映画「穢の森」を制作するにあたり、自分はプロデューサーに徹し出演しないと言い出す。その代わりに主演俳優としてキャスティングしたのが、まだ小学6年生だった芦田愛菜。抜群のキャスティングだった。
「芦田さんはやっぱり役者なんですよ。役者として俺らと一緒にやってくれた。だから、大変だったと思いますよ。役者として役を演じられないストレスが。実は1箇所だけ何度も撮り直ししたシーンがあったんです。芦田さんが芝居のスイッチが入った。それを山田くんはすぐに見抜いて芝居をさせなかった」(山下)