河瀨直美の演出で山田孝之と芦田愛菜が泣いた
『山田孝之のカンヌ映画祭』では、中盤にカンヌ受賞経験のある監督として河瀨直美が登場する。彼女は突然、山田孝之に河瀨組の短編に出演するように求める。それに対し、山田が一瞬本気で嫌そうな顔をするのが面白い。
「河瀨さんの申し出は、僕らとしては願ったり叶ったりでしたね。台本で想定していないことが起きたら、それは全部取り入れようと。現場で生まれたものを優先していくほうが面白いんですよ」(竹村)
「河瀨組の撮影は最少人数でやるから俺は下で待機していたんですけど、終わって降りてくる人がみんな泣いてるんですよ。松江くんは『すごいものが撮れた!』って興奮しているんです。河瀨さんと話してて山田くんがボロボロ泣いてるって。それを見て芦田さんも泣いてると。
河瀨さんの演出ってカウンセリングに近いんだよね。『山田くんの居場所ってどこなん?』とか言って。あの人、目力がすごくてガン見しながら話すから逃げられないんですよ。だから俺も河瀨さんから『山下くん、何やってんの?』って言われて真に受けて落ち込むんだけど、大阪から東京に戻る途中で我に返って『なんか俺、あの時おかしかったな』って気づく(笑)」(山下)
フェイクドキュメンタリーだけが映し出す「無意識が映る瞬間」
劇中映画「穢の森」は、山田孝之が独自の作劇方法やリアリティにこだわりすぎた結果、母親役にキャスティングした長澤まさみが降板。遂には主演の芦田愛菜までもが愛想を尽かしてしまい現場が崩壊する。竹村が手がけるフェイクドキュメンタリーではそんな「崩壊」が描かれることが多い。
「“崩壊”にこそ、やっぱり人間らしさがあらわれると思うんですよね。崩壊するということは、何かを目指して建てたい城があったはずで、そこに人の思いが一番出るんですよね。ジェットコースターみたいなもので、より上がってより落ちていく。その落ちていく一瞬に人間らしさが出る。思っていたことと違うときに人間の言葉は出る。だからフェイクドキュメンタリーは人間らしい物語になっていきますね」(竹村)
“フェイク”という装置があるからこそ、人間の本質や隠れた本音が浮かび上がってくることがある。
「フェイクドキュメンタリーには、本人の無意識が映る瞬間がやっぱりあると思いますね。自分の言葉で喋っているし、自分が考えたことで動いているからどうしても、無意識の部分はカメラに映ってしまう。芦田さんや谷村さんがしんどいと感じたのは、無意識を撮られたくないし、見せたくないという役者ならではの感覚だと思います。でも山田くんは、その無意識に一番リアリティがあって、一番面白いってわかっている。
劇映画でも俺は役者の無意識が映っている瞬間に説得力を感じるんです。『天然コケッコー』を撮った時、試写を見て夏帆さんが『すごく恥ずかしい』って言ったんですよ。芝居した感じがしない、自分が無意識で動いているものを見せられている感じがすると言われた時に、ああ、なるほどって思ったんです。
役者が自分の芝居を見て、ここの動きがいいなみたいに言うところが、実は一番芝居としてつまらなくて『え?私、こんなことしてたの?』っていう芝居のほうが面白いと思うんです。フェイクドキュメンタリーは、たぶんそういう無意識な動きとか言葉がついつい出てくる。それが自分が一番惹かれるところですね」(山下)
【プロフィール】
竹村武司(たけむら・たけし)/放送作家。1978年生まれ。広告代理店での勤務を経て放送作家に。『山田孝之の東京都北区赤羽』『山田孝之のカンヌ映画祭』『緊急生放送!山田孝之の元気を送るテレビ』(テレビ東京)、『植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之』(Eテレ)などの山田孝之出演作品や『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)、『秀吉のスマホ』(NHK)などジャンルを問わず幅広く手がける。
山下敦弘(やました・のぶひろ)/映画監督。1976年生まれ。『リンダ リンダ リンダ』で商業映画デビュー。『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』『味園ユニバース』『ハード・コア』など次々と話題作を手がける。最新作の『カラオケ行こ!』が公開中。
◆取材・文 てれびのスキマ/1978年生まれ。ライター。戸部田誠の名義での著書に『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『タモリ学』(イーストプレス)、『芸能界誕生』(新潮新書)、『史上最大の木曜日 クイズっ子たちの青春記1980-1989』(双葉社)など。
撮影/槇野翔太