キャンプインを迎え、球団初の連覇に向けて走り出した阪神ナイン。その胸には、今は天国にいる元同僚への誓いがあった──。
甲子園の夜空に、縦縞の背番号24がふわりと舞った。阪神が18年ぶりのリーグ優勝を決めた昨年9月14日。胴上げ投手となった岩崎優が手にしたのは同期入団の横田慎太郎のユニホームだった。その光景を横田の母・まなみさんは特別な思いで見つめていた。
「まさか岩崎投手と一緒に胴上げしてもらえるなんて。まるで皆さんの真ん中で、慎太郎がうれしそうに両腕を広げているように見えました。本当にうれしくって、ありがたくって……。慎太郎は最期まで阪神の優勝を願っていましたから」
脳腫瘍の闘病を続けていた横田は、阪神がリーグ優勝する約2か月前の昨年7月18日、28歳の若さで亡くなった。亡くなる数日前、病床の横田がふいに〈優勝、してほしいな〉と言った。「え?」とまなみさんは思わず聞き返した。その頃、横田は両目が見えず、言葉もほとんど話せなかったからだ。だが、横田ははっきりと口にした。
〈阪神、優勝してほしいな。優勝、見たいな〉
母との二人三脚
“奇跡のバックホーム”──横田という選手を象徴するエピソードだ。横田は入団3年目の16年に開幕スタメンに抜擢され、期待を集めた。しかし翌年の春季キャンプ中、脳腫瘍と診断される。まなみさんが「野球だけでなく、何事も諦めない子だったんです」と話すように、横田は18時間に及ぶ大手術を経て、再起を果たす。野球ができる幸せを噛みしめて、一層練習に打ち込んだ。
けれど結果は残せなかった。突然ボールが消えたり、二重に見えたりする後遺症に悩まされたからだ。目さえ元に戻れば……。家族や関係者、ファンの祈りは通じず、横田は2019年シーズンを最後にユニホームを脱ぐ。
奇跡は、鳴尾浜球場での引退試合で起きた。途中出場でセンターの守備についた横田をめがけて鋭いライナーが飛んだ。見えていないはずの横田はグラブでボールを掴むと、身体を大きく反らし、ホームへ投げる。ボールは一直線にキャッチャーが構えたミットに吸い込まれた─―。