1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。そんな蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』。新人騎手時代に多くを教わった先輩ジョッキーたちとの思い出についてお届けする。
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僕がデビューした頃の関東のトップジョッキーといえば、増沢末夫さんや郷原洋行さん、柴田政人さんに岡部幸雄さんなどがリーディング上位の常連。それに菅原泰夫さん、田村正光さん、大崎昭一さんなど、みな大レースでの実績も十分で、その牙城はちょっとやそっとでは崩せない感じでした。少し若いところで的場均さん(現調教師)、競馬学校の先輩だった柴田善臣さんや横山典弘さんが続いていました。
関西では南井克巳さんや河内洋さん、田原成貴さんなど、少し若い世代がリーディング上位に君臨していましたが、当時はいまほど関東と関西の交流はなかったように思います。
僕は関東のリーディング上位のベテラン騎手それぞれのストロングポイントを研究したり、話を聞いたりして勉強させてもらいました。
ホンネを言わないような方もいたけれど、幸い歳がだいぶ離れていたので、総じて親切に教えてくれました。はぐらかされている時もあったし、とぼけている人もいる一方、一生懸命話してくれているのに抽象的で分かりにくかったり、論理的すぎて若い僕には言っていることが理解できないこともあった。
なんとなく怖そうで、近づきがたいような雰囲気の先輩もいたけれど、僕はジョッキーが好きでジョッキーになったので、いろいろなジョッキーを見たり話をうかがったりするのも仕事のうちだと思っていました。競馬がある前の日は、みな外の世界と隔離された調整ルームで過ごさなければいけないのですが、そこでも座る席が決まっていて、最初は知らないから、座っていたら怒られました。「お、あんちゃん」って、無言のプレッシャーが(笑)。でも、乗り馬を回してもらったこともあるし、可愛がってもらいました。
酒癖が悪いとか、話が長いとかいろいろな先輩がいました。前に乗ったことがある人に癖を聞いたりした時は、乗ってみてなるほどなと思うことが多かったけれど、全部言ってくれないこともあった。レースの後でそのことを言ったら「あ、忘れてたわ」とか言って。
優しい先輩もいたけれど、みな一癖も二癖もありましたし、そういう人の方が勝ってました。僕もあと三癖ぐらいあったら、もっと勝てたかもしれない(笑)。