横浜市内の認可保育園「大豆戸どろんこ保育園」(社会福祉法人どろんこ会運営)。エプロン、三角巾姿で0~2歳児の食事を手伝う高齢の男性保育士がいた。「今日、雨降ってたんだよ」と話す男児に、「雨降ってたのにちゃんと来たんだね。えらいなあ!」と褒める。男児は満面の笑みを浮かべていた。【前後編の前編】
「保育士の中で僕は年齢が飛びぬけて高いので、じいじとか、おじいちゃんって呼ばれています。ひであき先生、ひであきって呼び捨てにされることもある(笑)。でもそれがうれしいんです。子供の成長する速さは凄い。その様子を間近で見られるのは大きな喜びですし、屈託なくストレートに心を許してくれる時があって。最高ですね」
声の主は、かつてロッテの中心選手として活躍していた高沢秀昭(65)だ。1988年に首位打者と最多安打を獲得。外野手でゴールデングラブ賞を3度受賞するなど、走攻守3拍子そろった選手だった。現役引退翌年の1993年からロッテでコーチを17年間、少年野球教室『マリーンズ・アカデミー』でテクニカルコーチを10年間務めた。ロッテでの仕事に一区切りがついた61歳の時、保育士を目指すことを決断する。資格取得を目指し、大原医療秘書福祉保育専門学校横浜校に入学。卒業後の2022年から同園で働き、間もなく2年目が終わろうとしている。
「実は腰を痛めて昨年6月に椎間板ヘルニアの手術を受けたため、3か月休職して9月に復帰しました。勤務時間は6時間で週に4日働いています。早番、中番、遅番とあるのですが、早番の時は午前4時に起床し、午前6時過ぎに園に行って洗濯物の片付け、掃除などの作業をした後、子供たちを迎えます」(高沢。以下同)
現役時代は寡黙で知られた高沢だが、子供と接することが好きだった。『マリーンズ・アカデミー』で幼稚園児、小学生と接し、「上手とは言えないけど野球を好きな子供がキャッチボールで初めて捕れたり、うまく投げられた時に喜んだ姿を見るのがうれしくて」と振り返る。
契約満了になり、少年野球の監督などオファーがあったが、「野球とは違う仕事で子供に関わりたい」と断った。保育の専門学校で、40歳以上も年齢が離れた学生たちと机を並べることに抵抗はなかった。
雪国の北海道で生まれ育ち、「やると決めたらやる性格」で芯が強い。現役時代は並外れた練習量を課せられても、弱音を吐かず黙々とバットを振り続けていた。コーチの時は多忙な合間を縫って毎日10キロ走り、フルマラソンに出場して完走したことも。
専門学校では必修課題のピアノ演奏に苦戦したが、かつて娘が弾いていた自宅のピアノで猛練習するなど現在では趣味に。休日には4時間以上弾き続けているという。「忌野清志郎さんが歌う『デイ・ドリーム・ビリーバー』を練習しています。左手の分散和音が激しくて難しいんです」と目を輝かせる。
専門学校で過ごしている時、同園の面接を受ける時、自身が元プロ野球選手であることを明かさなかった。その理由を聞くと、「僕なんて、全然たいした選手じゃないですから。自分から言うことでもないかなと」。謙虚で物腰が柔らかく、片膝をついて子供たちと同じ目線で言葉をかける。勤務中は立つ、座るを繰り返すため腰に掛かる負担は小さくないが、常に笑顔を絶やさない。触れ合っている様子を見ると、園児たちが心を開く理由が分かる気がする。