保育士はプロ野球選手のセカンドキャリアにも
保育の現場は楽しいことだけではない。大切な子供たちの命を預かるため大きな責任が伴う。他の保育士と連絡を密にとり、散歩に出掛ける時は人数確認の担当、水分補給手配の担当、公園の安全管理を確認する担当を決め、熱中症やケガ、園児の見失いがないように細心の注意を払う。保育について語ってもらうと、言葉に熱が帯びた。
「0歳児、1歳児と年齢でひとくくりにできません。同じ0歳児でも4月生まれと3月生まれの子供はほぼ1年違うので、発達の度合いが違います。言葉もそうですし、自分でトイレに行ける子がいれば、おむつが必要な子がいるので、1人1人に応じた援助が必要になります。ご飯を食べる時や着替えの時など、場面の切り替えで時間を要する子もいます。その時に『そろそろ食べようか』とせかすのではなく、『もう少し遊んでから食べようか』と言葉を掛けたり。ベテランの保育士さんは子供に応じた言葉掛けが非常にうまい。毎日勉強しています」
同園では異年齢保育を掲げ、0歳から5歳の子供たちが一緒に過ごす時間を大切にしている。乳児たちは上の年齢の子供を見て成長し、4、5歳の子供は乳児たちを手伝うことで優しさが芽生える。高沢は障害の有無や国籍の違いに関わらず全ての子どもに生きる力を育む同園の「インクルーシブ保育」の理念に共感し、「ここで働きたい」と志願したという。
叶わなかった夢がある。現役時代はメジャーリーグの試合をテレビで見てから、球場に向かっていた。
「衛星放送を受信するために、アンテナやチューナーを設置するのに全部で36万円ぐらいお金がかかりました。メジャーリーガーのプレーを見て、自分を奮い立たせていましたね。僕もメジャー挑戦を考えた時期がありましたが、当時は現実的でなかった。家族のこともあるし、生活を考えると不安の方が大きい。日本人選手の先駆者として結果を残した野茂英雄さんは本当に素晴らしいと思いますし、大谷翔平選手も二刀流という新たな世界で活躍している。パイオニアは凄いです」
野茂、大谷は確かに凄い。でも、高沢も60歳を越えてから保育士に転身し、立派に働いている。その生き様に感銘を受けた野球ファンから、「勇気をもらいました」、「私も50代だけど頑張ります」などの手紙が保育園に届くという。「高沢さんも新たな道を切り拓いたパイオニアですね」と伝えると、「いやいや、僕は全然です」と苦笑いを浮かべた後にプロ野球選手のセカンドキャリアに言及した。
「子供好きの選手が多いので、保育の世界に向いている人がいると思います。プロに入って一生懸命頑張って、色々なことを犠牲にして打ち込んできたと思うので、違う仕事をする精神面の下地はできている。若くして球界を去らなきゃいけない人たちは色々な選択肢がありますが、保育士としてキャリアを積めば、主任、園長、経営する立場にステップアップできるかもしれない。子供に対してのファンサービスに力を入れている球団が多いですし、興味を持ってくれるとうれしいですね」
結果がすべての過酷なプロ野球の世界で輝きを放ち、保育士となった現在も地に足をつけて1日1日を大切に過ごしている。
「1年でも長くこの仕事を続けたいです。体力が続かなくなかったら、自宅で保育に携わる家庭的保育で子供と関わっていきたいですね」。
背筋をピンと張った姿勢で1時間の取材に応じた後、園児たちの輪に戻っていった。
(後編に続く)
◆取材・文・写真/平尾類