かつては、病気になれば医師による診断のもと治療が施され、手の尽くしようがなくなったときが人生の幕を閉じる瞬間だった。しかし、医療が進歩した結果、苦痛を伴う延命治療を受け続ける患者もいる。そもそも「延命治療」の定義が曖昧であり、患者本人が望まない治療が行われる可能性もある。だからこそ医療界では、人生の最終段階に備え、本人が望む医療やケアを家族や医療者などと話し合うACP(アドバンス・ケア・プランニング=人生会議)を推奨している。患者本人が何を望むのかをしっかり伝えることが重要なのだ。しかし、それでも望まぬ形になる可能性はある──。【全4回の第2回。第1回から読む】
いくら意思を伝えていても、何をもって延命治療とするかが曖昧だからこそ、思わぬ形で望まない延命治療を受けてしまうこともある。医師で作家の久坂部羊さんは、「初めから望ましい治療、望ましくない治療と分けることは誰にもできない」と話す。
在宅医療専門医で向日葵クリニック院長の中村明澄さんは以下のように説明する。
「多くの人は適切な延命治療なら受けたいと思うのでしょうが、適切になるか不適切になるかは、実際に治療を始めてみないとわからない面があります。とりわけ高齢者の場合は、回復の見込みがあって始めた治療でも急変し、苦痛を伴う延命治療になってしまう危険性は高い。
そこでたとえ“これ以上、手の施しようがない”と医師が判断しても、そう伝えると『ベストを尽くしていない』と怒る家族もいます。そもそもいったんスタートした胃ろうを抜いたり人工呼吸器を外したりすると、医師は殺人罪に問われかねません。だから家族が『もうやめて』と頼んでも、原則として一度始めた延命治療を途中でやめることはできません」
当人の苦しむ姿を見た家族が治療の中止を求めても、日本には尊厳死を認める法律がなく、当人の死に直結する処置は法的にグレーもしくは“クロ”の部分が多いため、医師は安易に治療をやめられない。それゆえ治療を受ける患者と家族には「理解と覚悟」が求められる。
「いまは延命治療という言葉だけが独り歩きして、よくわからないまま『延命は嫌だ』と拒否したり、逆に『お母さんはひ孫に会いたいはず』と安易に延命を求める事例が目立ちます。
また、胃ろうと経鼻経管栄養は胃に穴を開けるかどうかの違いはありますが、栄養を胃に直接入れるという治療の意味合いは同じ。なのに、それを知らず『胃ろうは延命治療なので避けたい。経鼻経管にして』というご家族もいるなど、知識が乏しいかたも多い。理解や覚悟のないまま治療を始めることは、予期せぬ結果を生むリスクになることがあります」
延命治療を受けるか否かを考える対極で、年を重ねポジティブな回復が見込めない場合や、“穏やかな死”のために在宅医療や、がん治療を中心とした緩和ケアを選択する人も増えている。医師で作家の鎌田實さんはこう話す。
「いまは緩和ケアが進歩し、モルヒネなどを使って末期がんの痛みを大幅に軽減できるようになりました。転移が進んだ患者のなかには無理な治療を続けるよりも、緩和ケアに切り替えることを望む人もたくさんいます。治療をやめて死期が早まっても構わないから、苦痛を和らげて残りの人生を生き切りたいという人たちです。延命とは対極にある考え方ですが、本人が希望するなら周囲はその思いを尊重してほしい」
人生の最終盤、在宅で医療や介護を受けている場合でも、容体が急変して救急車を呼ぶと救命措置として、望まない延命治療が施される可能性が高い。それだけにいざというときに、救急車を呼ぶかどうかも話し合っておきたい。永寿総合病院がん診療支援・緩和ケアセンター長で緩和ケア医の廣橋猛さんは、こう語る。
「延命措置を望んでいない患者が苦しみのあまり救急車を呼び、延命治療につながるのはよくあるケースです。やはり事前に、いざというときにどこでどう治療を受けたいかを話し合い、延命治療を避けて自宅で看取りたいなら訪問診療医を確保するなど、急変時に救急車を呼ばなくてすむ態勢を整えておくことが求められます」