白血病の公表から5年。奇跡の復活でパリ五輪出場を決めた池江璃花子(23才)に、称賛の声が集まっている。ひとつの目標を達成するために、彼女は今日までどれほどの涙を流したのだろうか。強くなるために下した決断とは──。
「ありがとうございます」。本誌『女性セブン』記者の問いかけに、池江璃花子の母・美由紀さんは声のトーンを上げてこう答えた。3月18日、池江はパリ五輪代表選考会を兼ねた、国際大会代表選手選考会に出場。女子100mバタフライで、今年7月から8月にかけて開催される五輪の切符を手にした。
「何もお答えできない」としながらも五輪決定の話題に声が明るくなったのは、池江と美由紀さんの関係に変化があったことと無関係ではないのだろう。実は約半年の間、美由紀さんは娘に関する言及を避けてきた。
《パリ行くよ!!行けるよ!!》
パリ五輪を決めた翌日、池江がXにこう投稿すると、「奇跡の復活」を祝福するコメントが殺到した。病魔を乗り越え3大会連続の五輪出場は、並大抵の努力では成し遂げられない、まさに偉業と言える。池江が自身のSNSで白血病を公表したのは2019年。まだ高校生だった18才の頃だ。以降、長く壮絶な闘病生活が始まった。
「白血病の治療には、心身ともに大きな苦痛が伴いました。抗がん剤の副作用による吐き気に悩まされ、1日に5回以上吐いてしまうこともあったそうです。それに加え、髪の毛が抜け落ちていくことにも大きなショックを受けたようです。当時の心境を池江さんはのちに“死んだ方がいいんじゃないかと思っちゃった”と振り返ったほどでした」(スポーツジャーナリスト)
折れそうな心を支えたのが美由紀さんだった。
「入院中の池江さんのもとへ毎日通っていました。午前中に家を出て、帰宅するのが21時を過ぎることも珍しくなかった。幼児教育の会社の代表を務めている美由紀さんは、“褒めて、愛して育てる”がモットーで、小さい頃から“できるよ”と池江さんに声をかけていました。闘病中も、お母さんのこの言葉が支えになっていたようです」(競泳関係者)
約10か月に及ぶ入院生活で、体重は15kgほど落ち、筋力はほとんど失われた。退院直後から自宅に設置したトレーニング機器を用いて軽い負荷をかける運動を始めると、池江は驚異的な回復をみせた。翌2020年3月に406日ぶりにプールに入ったことをSNSで報告すると、5か月後の8月には東京都の大会でレース復帰を果たした。
そして2021年、東京五輪に400mメドレーリレーのメンバーとして出場した。「奇跡的な回復ぶりに、がん治療の専門家からは“世界的に見ても歴史的な出来事”という称賛の声が相次ぎました。ただ本人としては個人種目での出場はできず、リレーでのパフォーマンスも納得のいくものではなかった。大きな悔いの残る五輪でした」(前出・スポーツジャーナリスト)
池江の目標は自然と「パリ五輪」に切り替わったが、そこから想像し得ないほどの苦難の日々が続いた。