『「女ヤクザ」とよばれて──ヤクザも恐れた「悪魔の子」一代記』(西村まこ著)が、清談社Publicoから発売された。ヤクザ関連の著作も多い社会学者の廣末登氏は本書の構成や監修等に携わった。日本の裏社会史上初の“女ヤクザ”である西村氏の半生は“極悪”エピソードばかりだった。そんな彼女がなぜ、元犯罪者の更生支援や地域の清掃といった慈善活動に勤しむようになったのか。廣末氏が特に印象に残った西村氏が血気盛んな20代の頃のエピソードを紹介する。【前後編の後編。前編から読む】
──数年で記憶も飛んでしまうほど、女性にとって、かつて売春島と呼ばれた三重県・渡鹿野島で働くことは精神的に厳しいものなのですね……。島から泳いで逃げ出す人もいたんですよね。
女つながりでサオリの話をしましょう。少年院が一緒だったサオリは、私が経営していたデートクラブでも働いてくれたことがあります。彼女は、私の家に住み着いてゴロゴロしていました。
ある日「まこさんにご迷惑ばかりかけてしまいました。何も恩返しできませんから、私を売ってください。お金にして下さい」と、言い出したではありませんか。「おめえ、売られるって、どういうことか分かってんだろうな」と問うと、殊勝にも「はい、覚悟の上です」と。
──女性とある種の信頼関係は構築されていたと。
「そうかい、じゃあ、売ってあげるよ」と、渡鹿野島を仕切る東さんに電話してみました。しかし、この時(約30年前)は島に警察のガサが入っており、売春事業が衰退しはじめていたので、前借りで大金を出すようなお店がなくなっていたのです。
「こいつは困った。サオリのたっての頼みを叶えられないな」と思い、兄貴分の一人に相談してみました。すると「おれが面倒みている塩原温泉をあたってみるよ」と、言ってくれました。
数日後、この兄貴分が「ここがいいんじゃねえか。一応、店の女将にも話し通してるよ」と、お店の名前と電話番号が書かれた紙を持ってきてくれたのです。早速、店に電話して、女将に事情を話すと、快く受けてくれるというじゃありませんか。翌日、サオリを乗せて、塩原温泉にある店に出向きました。金額の交渉はスムーズに運び、数日、サオリの働きぶりをみて、カネを振り込む段取りをつけた私は、サオリに最後の“サービス”をすることにしました。
──最後のサービスとは一体何でしょうか。