1990年代、加熱するヘアヌードブームの中で、水着グラビアで芸能界を席巻した一大勢力、それが「イエローキャブ」だ。彼女たちは、日本のグラビアを変えたと言っても過言ではない。細川ふみえはこう振り返る。
「私の初めての仕事は『ミスマガジン』グランプリのグラビア撮影でした。もちろん撮影自体が初めてで勝手が分からず、緊張しっぱなしで悔しさが残ったのを覚えています。
イエローキャブ時代は『スキスキスー』で歌手デビューもして、活動できたのも思い出ですね。『応援してくれるファンを大切に』という言葉は、私がデビュー時から今も変わらず抱き続けている想いです。数え切れないほどたくさんの機会を与えていただいたイエローキャブには感謝しかありません」
一方、イエローキャブの印象が薄いのが山咲千里。彼女について、元イエローキャブ社長の野田義治氏はこう語る。
「実は山咲千里はほんの少しの期間だけイエローキャブに在籍していました。とにかくべっぴんだったね。彼女が事務所を辞めて4年ぐらいかな、渋谷でばったり出くわしたことがあったね。背はそこそこ高く、脚も長い、派手な服を着こなして、べっぴんでかっこよかった。まさに『いい女』でしたよ」
野田氏の心に残っているのが、1988年に亡くなった堀江しのぶさんだ。堀江さんについて、野田氏はこう語る。
「17歳のしのぶと出会った瞬間にオーラを感じました。だからオレは初対面の彼女をコンテスト会場の東京から名古屋まで送り、その場でお父さんに直談判してデビューさせました。彼女こそは本物の女優にしたかったですね。彼女が亡くなったと聞いて頭が真っ白になり、自分がどうしていたか今も記憶がないんです」