ご存じのように、終末時計は核戦争などによる人類滅亡の時点を「午前0時」とし、それまでの残り時間を「あと何分何秒」と示すものだ。最新の発表では、残り時間はあと九十秒で、去年に続く最短の残り時間である。
問題を整理しよう。アメリカが主張する原爆投下を正当化する最大の論理は、「日本はあまりにも頑迷で他の国なら当然降伏するようなところまで追い詰められてもまだ戦おうとしていた。戦争を終わらせるためには、原爆投下はやむを得なかった」というものだろう。この論理には「原爆投下によって戦争は終わり、アメリカ兵のみならず多くの日本人の命も救った」という主張が続く。問題は、この主張を「言い訳」だとか「正当化」だと、完全に無視していいものだろうか、ということだろう。
それは、歴史の分析として妥当では無いと私は思う。以下その理由を述べよう。
原爆投下に至る一九四五年(昭和20)、事実上の日本領だったサイパン、テニアンなど南太平洋の島々がすべてアメリカ軍に奪取されたことによって、戦略爆撃機B-29による日本本土の定期的爆撃が可能になった。アメリカ本土あるいはハワイ州からでは必要航続距離が長すぎて不可能だったのが、可能になったのだ。そして同年三月十日の東京大空襲では、下町つまり民間人居住区に多数の焼夷弾が投下され、十万人以上の日本人が死んだ、いや殺された。しかも、この死者数はあらかじめ計算されていた。
古くは明暦の大火、近代に入ってからも関東大震災による大火によって膨大な犠牲者を出したのが東京(江戸)という都市であり、最近の研究ではあきらかにアメリカ軍はこのことを予測していたという。単なる爆弾では無く焼夷弾を使用したのがその証拠だ。つまり、これも「一秒」ならぬ「一夜のホロコースト」であり、まさに「人道に対する犯罪」であろう。
ここでアメリカ軍、いやアメリカ国家の視点に立ってみると、「もうそろそろ日本は降伏するだろう」と考えたに違いない。首都のみならず大阪、名古屋など主要な都市は焼け野原になり、しかも「南洋諸島」の占領によってアメリカは日本をいくらでも空襲できる体制を確立した。欧米社会の常識なら、これで戦争は終わるはずなのである。
しかし、日本はそのような事態になっても降伏など夢にも考えていなかった。なぜそうだったのか? この『逆説の日本史』の愛読者はよくご存じだろう。日本民族は「犠牲者の死を決して無駄にしてはならない」という古くからの怨霊信仰に基づく英霊信仰の国で、いまでこそ先の大戦で三百万人が犠牲になったから「その死を無駄にしてはならないから平和憲法を守らねばならない」と声高に叫んでいるが、戦前はまったく同じ信仰に基づく「日露戦争で戦死した十万の英霊の死を無駄にしてはならない」という信仰が国民を縛りつけ、一切異論を許さなかった。
朝日新聞も毎日新聞も、いや日本のすべての新聞がその信仰を支持し、結果において戦争を煽りに煽った。「過ぎし日露の戦ひに 勇士の骨をうづめたる忠霊塔を仰ぎ見よ」で始まる朝日新聞の公募によって作られた『満洲行進曲』は、「東洋平和のためならば 我等がいのち捨つるとも なにか惜しまん 日本の 生命線はここにあり 九千万のはらからとともに守らん満洲を」(作詞の大江素天は、当時朝日新聞の現役記者)と歌い上げ、「英米の圧力に負けて満洲を放棄することは、十万の英霊の死を無駄にすることになる」という、陸軍も望んだ「国民精神」を確固たるものにしてしまった。