〈私にとって稼業入りすることは、人生の恢復だった。社会のルールから外れた仲間たちと共に、ここから這い上がっていきたいと思った〉
〈血を分けた本当の家族を失った私にとって、盃で繋がる一家が本物の家族だった〉
総裁本家の住み込み修業の終了後も、麻雀やワインのお供、子息の家庭教師などで本家通いが続いた。
2007年、盟友関係にある道仁会の三代目会長が射殺された際はカナダに渡り、重さ4トン以上の装甲車を購入した。
〈本家部屋住みや事務局時代は、カナダへ防弾車の買い付けに行ったり、海外テレビ局やニューヨークタイムズ紙の対応をしたり、やり甲斐のある仕事を次々と任せて頂いた。自己実現でき、充実した日々を送れたのは、工藤會のおかげだった〉
いまでも淡々とこう振り返るのだ。
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※週刊ポスト2024年5月3・10日号