誰もが他人のことを気にし合うのは「世知辛い世の中」なのか?
こういう話になると「そんな細かいことをいちいち気にしてられるか!」と、豪快な自分をアピールしたがる人がいます。がんばって気にするほどのことは言っていませんが、よっぽど周囲を気にしない人生を送っているのでしょう。職場でも家庭でも、無神経な言動で周囲の眉をひそめさせて孤立している光景が目に浮かびます。それに、細かいことすら気が付かない人が、大きなことをきちんとやれている例は寡聞にして知りません。
また、「そこまで気にしなければならないとは、なんて世知辛い世の中だ」と嘆く人もいます。なるほど、自分ができていなかったことを指摘されたから、プライドを守るためにそういう論理を持ってきたわけですね。誰もが他人のことを少し考えて行動できる世の中は、ぜんぜん世知辛くはありません。誰も他人を気にせず自分勝手に振る舞う世の中のほうが、よっぽど殺伐としていて世知辛いと言えるでしょう。
ただ、念入りに自分自身に言い聞かせたいのは、さまざまな場面で「跡を濁さない」のは、あくまで「自分が気持ちいいからやっている」ということ。跡を濁している人に非難の目を向けるためではありません。もちろん「やれやれ、気の毒に」と思うのは自由ですが、そっちに力を入れるとせっかくの気持ちよさが台無しになるかも。……と、きれいっぽくまとまったところで、原稿を締めて立ち去りたいと思います。パタパタパタ。