40歳にして落語家への転身を志し、今年で噺家生活15周年を迎えた月亭方正(56)。上方落語家として2012年に東京から大阪に拠点を移した方正は、一時は収入が落ちながらも、「経済は回らなかったけど、人生が回り出した」と振り返る。落語界の「噺の継承」や弟子制度、そして後輩芸人の落語家転身に至るまで、ノンフィクションライターの中村計氏が聞いた。(全3回の第3回。第1回から読む)
──いつも思うことなのですが、漫才のネタも落語のように継承していくことはできないものなのでしょうか。M-1などで永久に残しておきたいようなネタもたくさんあるじゃないですか。発案者がいなくなったら、もう聴けないというのは、すごくもったいないような気がするんですよね。
方正:僕も絶対にやった方がいいと思うんですよ。それは松本(人志)さんが言うてはりました。何で落語が伝統芸能として生き残ったかというと、ネタを人にあげるからだと。漫才も生み出したり変えたりする作業だけでなく、残すということもほんまはせなあかん、って。その方が芸能文化としての奥行きが出てくると思うんですよね。落語のネタみたいに、何人もの人が何十年、何百年もかけて、どんどん磨きをかけていくわけですから。
──わからないでもないんですけどね。ネタは、言ったら、その人の財産であり、飯の種でもあるわけじゃないですか。そのネタをくれると言っても、もらう方にも遠慮があるでしょうし。
方正:そう考えると、漫才の世界で弟子制度がなくなったのも大きいですよね。落語の世界も新作はそれを作った人が生きているうちはなかなかできません。でも、師匠が亡くなったら、お弟子さんたちがやると思うんです。継ぐ資格があるのは、まずはお弟子さんたちですから。そうやって現代まで受け継がれてきたんです。