「山子は大したモンだよ。カッコいいよ。出世したよね」とサトちゃんは惜しみなくほめてくれる。「でも、金ねぇど。この年で家賃に追われているってどうよ」と言うと、「それができるってだけですごいべな」と、これまたほめてくれるんだわ。
で、ケイコちゃん。彼女は高校を卒業後、公務員として定年まで働いた。その間ずっと、夫の親と同居してきたんだって。わが子を1才から保育園に預けるなんて考えられなかった時代で、姑と舅は当たり前のこととして子育てを買って出てくれたそうな。
「で、いま両親は?」とサトちゃんが聞けば、「おかげさまで92才と88才で健在」とケイコちゃん。2年で嫁ぎ先を逃げ出した私は、開いた口がふさがらない。
なにしろ、亡くなったとはいえ、昭和ヒトケタ生まれの親のことを思い出すだけで身震いするもんね。「親に口答えするな」「女は男より前に出るな」「嫁は勝手に出歩くな」は当たり前。「嫁に仕事をさせてやってる」と言った昭和ヒトケタを私は何人も知っている。ケイコちゃんはニコニコしているけど、がまんがならないこともあったんじゃないかと思う。
「で、サトちゃんは何してたのよ?」と聞くと、「私は若い頃、腰の病気で大手術してからずっと家にいて、弟夫婦とその子供2人と両親と私。7人家族のご飯作りをしていたのよ」とこれまたサラッと言うんだわ。
「7人家族の頃は、鍋もこ〜んなに大きくて、夕飯作りも午後1時頃から始めないと間に合わないんだよ。それが、両親が亡くなって、甥っ子たちが独立したら、昼間は家にだーれもいない。これがこたえてなぁ。テレビの音を大きくしたりしていたけど、あるとき、あれ?と思ったんだよ。昼間、ひとりの時間って、実は最高じゃねって」
そんなサトちゃんは、長い間、家にこもりがちだったけれど、最近は高校時代の友達との集まりに積極的に出ていくようになったんだって。
三者三様。人生いろいろ。
で、話のシメは「なんたって健康! 健康なうちに楽しまなくちゃ損だよ。山子の病気の記事なんか読んだら余計そう思ったよ」とサトちゃんが言うと、「また、集まってしゃべろうよ」とケイコちゃん。すっかり中2に戻った「山子」は、もちろん大きくうなずいたのでした。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2024年6月13日号