死をも望んだ奈落の先にあったのは、思わぬ「生」への執着だった。自然のなかで健康を取り戻した小橋さんは、無謀にも思える計画をきっかけに、新たな人生への足がかりもつかむことになる。
音楽フェス、モーターショー、パラリンピック……。ディレクターやプロデューサーとして数多くのイベントを手掛け、「まだ見ぬ景色」を多くの人たちに届ける小橋さん。催事企画プロデューサーを務める『EXPO 2025 大阪・関西万博』も、来年4月に開催を控えている。【前後編の後編。前編を読む】
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━━貯金は底をつき、仕事もままならない。その上、体を壊して、文字通りどん底とも言える状態から、どうやって抜け出すことができたのでしょうか。
「病気を理由に、すべてを諦めてしまうこともできたのかもしれません。ただ一方で、『病気なんだから、もう一回ゼロからやり直せばいい』と開き直ることもできるわけで、そのときの僕は後者を選んだ。まずは体を治そうと思い、知人のトレーナーからの『自然に触れた方がいい』との勧めもあり、都内から茅ヶ崎に引っ越してライフセービングやトレイルランのトレーニングをして過ごしました。毎日、自然のなかで泳ぎ、走った結果、30歳を迎える頃には人生でいちばん健康で、いちばんいい体になっていました」
━━半ば寝たきりから人生最高の肉体へ、振り幅がすごいですね。
「健康を取り戻すことと同時に、もうひとつの目標を立てました。数カ月後に迎える30歳のバースデーパーティーを、自分でオーガナイズしようと思ったんです。おもてなしされるのではなく、今までお世話になった人たちを招いて、最高のおもてなしをしようと。とはいえ、あいかわらずお金はないし、先輩のツテでお台場のホテルのプールを貸し切ったら、とんでもない額の見積もりがきた(笑)。
とてもじゃないけど当時の僕には払えないので、パーティーを有料のイベントにして、その分、入場料に見合うだけの中身にすべく、いろいろと工夫をし、自ら必死に手をかけました」