人気絶頂で突然俳優業から身を引いた
日本版『ULTRA』を任されるようになった経緯
━━『ULTRA MUSIC FESTIVAL』の日本版である『ULTRA JAPAN』や『東京2020パラリンピック』の閉会式を手掛けることになる小橋さんのはじめの一歩が、ご自身のバースデーパーティーだったというのは、とても興味深いエピソードです。
「もちろん、そこからすぐに仕事が入ってきたわけではありませんが、いろいろな繋がりができ、さまざまなイベントをひとつずつ手掛けていくきっかけにはなりました。そんななか、スタッフとして手伝ってくれないかと声がかかったのが、27歳のときにマイアミで見た『ULTRA』の韓国版。韓国の10万人の若者がスタジアムで揺れているのを見たら、自然と号泣していました。他方、日本の若者たちは世界のフェスのムーブメントを見ながらも、『どうせ、今の日本ではできない』という諦めムードに包まれているように感じました」
━━海外と日本の温度差を感じたんですね。
「若者たちに、今の日本の都会のど真ん中でも、こんな世界レベルのことができるという奇跡を見せたかった。まだ見ぬ景色を見せてあげたかった。その体験が彼らの人生を変え、僕らの未来を変えることに繋がるんじゃないかと思ったんです。そうした熱意を『ULTRA』に関わる方々に伝えていくうちに、『じゃあ、お前がディレクターをやればいい』ということになり、初上陸から5年間、クリエイティブ・ディレクターを務めさせていただきました」
━━『ULTRA』日本初上陸の3年後、2017年には未来型花火エンターテインメント『STAR ISLAND』を初開催。総合演出を務めるこのイベントも、小橋さんの代名詞的クリエイティブワークのひとつになっています。
「2年目の『ULTRA』のフィナーレで花火を打ち上げたのですが、そのときにご一緒した花火師さんたちが『これからは有料の花火大会しか生き残れない』と口々に言っていたんです。
彼らによると、各地で行われている花火大会は協賛がつかなくなっていて、人が来れば来るほど警備費が嵩み、もはや無料では成立しないと。もちろんその事情は理解できるものの、無料だったものを同じ中身で有料にして、“お客さんは納得するんだろうか”という疑問も湧きました。また、ただ伝統を守っていくだけでいいのだろうかとも」
━━舞台裏では切実な事情があるんですね。
「かつて花火を作りあげた人たちも、ものすごい熱量でイノベーションしたからこそ、それを見た人たちが感動し、長く受け継がれ、伝統になったんじゃないかと。であれば、今もまた同じような熱量でイノベーションし、新しい才能や技術と紡いでアップデートしなければいけない。それがなければ、ただ古いものを押しつけるだけになりかねない」