今年3月末、新型コロナ対策を政治家や厚労省に助言してきた専門家組織「アドバイザリーボード」が解散した。コロナ禍では、感染症対策について政府に助言・提言などを行なうだけでなく、時には総理大臣と一緒に会見に臨むなどして高い注目を集めた「専門家」たち。彼らの果たした役割はどのようなもので、そこからどのような教訓を得るべきなのか。十分な検証がなされているとは言えないようだ。
政府はすでに“次のパンデミック”への備えを進めている。国が法的拘束力をもって地方自治体に対応を指示する「指示権」の新設を盛り込んだ地方自治法の改正案の審議を進め、5月30日に衆議院本会議で可決させた。ただ、コロナ禍で感染症の専門家に取材を重ねてきたノンフィクション作家の広野真嗣氏は「未知のウイルスなどによる次のパンデミックへの対応準備が進められているように見えますが、それが本当にコロナ禍の総括を踏まえたものなのかは、立ち止まって考えなければならない」と指摘する。
広野氏は感染拡大初期の2020年2月から、尾身茂氏(新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)をはじめとする専門家への取材を続け、著書『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)を上梓した。3月末の専門家組織の解散について、広野氏はこう話す。
「感染症の専門家に対する世間の評価は、大きく2つに分かれていると思います。ひとつは専門家グループの功績があったから、日本の人口あたりの死者数が少なく抑えられたのではないかという見方。もうひとつは、専門家が政府を後押しするかたちでできたコロナ対策によって、飲食店や商店などが苦しい状況に陥ったとする見方です。SNSでは2つに大別された意見の分断が目立ちますが、今こそ専門家組織がやっていたことを冷静に振り返る必要があると思います」
広野氏は「日本のコロナ対策は、世界的に見ても特徴的なものだった」と指摘する。
「中国のゼロコロナ政策のような厳しい行動制限も取らず、一方でスウェーデンなどのように行動制限はせずに集団免疫の獲得を目指すこともしなかった。その2つの考え方の“調整型”のような対応を取ったわけです。その調整を行ない、国民の理解を得るために情報を発信したのは、内閣総理大臣でも官房長官でも、官僚ですらなく、専門家組織の取りまとめ役を担った尾身さんでした。
コロナの3年を通じて、彼ら専門家、政治家、官僚たちが果たした役割をきちんと検証することがないまま、政府は机上であたかもコロナを制度上のみ取り繕っています。しかし、こうした国に権限を集める仕組みがなぜ必要になるのか、検証が抜け落ちているがゆえに、野党やメディアも“地方分権に反する”とステレオタイプな批判ばかり。与党もどうして、どんな場面でそうした国の権限が重要になるのか、具体的なケースに即して浮き彫りにすることができない。おそらくこのままでは、新しい制度や権限も、将来の政府が教訓として生かすことはできないでしょう」(広野氏)