──公表を決意してからも、昨年のイベントで発表するまでには少し時間がかかったんですね。
そうですね。ちょうどコロナ禍になってしまって、いろいろなスケジュールがずれてしまったこともありましたし、一度、カミングアウトを決めた後も、やっぱりどうしようか……と揺れ動く時期もありました。イベントの会場を押さえたのも結構ギリギリでした。家族に伝えたのも、2020年のクリスマス。本当に最近のことなんです。
──ご家族に伝えられたきっかけは……?
その年のクリスマスはアメリカにいたんですけど、周りにいた友達に「言っちゃおうかな」って話したら、「みんなで助けるから、言っちゃえ!」って後押ししてくれて、そのまま母親に電話したんです。その場の勢いを借りるような形で言わないと、言えなかったんですよね。
──報道番組のインタビューでも、「近い人に言う方が難しかった」っておっしゃっていましたよね。
やっぱり付き合いが長いと、その長さの分だけ難しい。どうしても、相手に対して自分が嘘をついていたという気持ちになってしまうんです。
──お母さまは告白をすぐに受け入れてくださったそうですが、イベントでカミングアウトしたあと、どんな言葉をかけてくださったんでしょう?
“あなたがやったことは素晴らしいと思うし、本当にやってよかった”と言ってくれました。いまは家族みんなでサポートをしてくれていますし、これまで以上に関係が深くなったと感じています。実は最初は、母親は公表することにはすごく反対をしていたんですよ。
──公にすることで、與さんが傷つけられてしまうことをすごく心配されたんでしょうね。
その通りです。でも、おれからすると、公表しないことで何も言われなかったとしても、自分らしく生きてはいけない。それなら、たとえ何かを言われたとしても、公表して自分らしく生きるほうが、100倍人生が楽しくなると思ったんです。もし、ネガティブなことを言ってくる人がいても、正直、それは赤の他人(笑い)。カミングアウトすることで、いままでよりも応援してくれるファンの人数が少なくなったとしても、本当の自分を知ってくれた上で応援してくれる人たちがいるなら、その愛は深い。
──そう思えたからこそ、カミングアウトに繋がったんですね。
カミングアウト前後の2年間は、いろいろなことが本当にあったと思います。でも、いいことも悪いことも含めて、人間としてすごく成長したな……ということを自分自身で感じられています。昨年6月には、エイベックスから独立するという変化もあったんですね。それまではいろいろなことを“やってもらって当たり前”になっていたので、個人として独立した直後も正直、誰かがやってくれるでしょう……みたいな感覚が残っていて。なんとかなるでしょ、うまくいくでしょって思っていたんですけど、うまくいくはずもなく……(笑い)。
──想像以上に、環境の変化を感じることになった。
芸能界に入った14才からずっと、言われたとおりに仕事をこなしていくのが当たり前だったんですよね。決められていたスケジュールがあって。でも、独立した以上、誰もやってはくれないので、全部、自分でやらないといけない。自分から動いて、スタッフともコミュニケーションを取っていかなければ、何も動かないから。自分の感覚を変えないといけないんだな……ということに、気が付きました。それでちょっと頑張り過ぎたら、最近、帯状疱疹になってしまったんですけど。
──心と体は密接につながっているといいますし、頑張らなくてはいけない状況だったとしても、やっぱり無理は禁物ということですね。
本当に健康第一だなと思います。でも、帯状疱疹になったことで、いろいろ気が付いたことがあるんです。もともと性格的に“0か100か”みたいなところがあって、仕事を初めてからの約20年間は本当に完璧主義者だった。いま思えば、自分の中で“こうあるべきだ”と決めつけてしまっていたことが、たくさんあった気がします。ファンの子は意外と気にしていないところまで、気にしすぎていたり……(笑い)。