VARは「選手を守るため」にある
VARは「審判のサポート」として導入されたとはいえ、結果的に審判の“誤審”を白日の下に晒すことにもなるツールといえる。それでも西村は、「VARによってレフェリーのミスが減るのであれば積極的に導入するべき」と語る。
「人間はどれほど努力をしても間違うことがある。しかしその判定による1つの得点や1つのファウルが、プレーに関わった選手やチームの将来を変えてしまうこともあります。そのような状況では、テクノロジーの助けを借りて正確な判定を導くべきでしょう。
VARは審判のためにあるのではなく、正しいプレーをしている選手を守るためにあると私は受け止めています。おそらく選手たちにも“フェアプレーをしなければ”という気持ちが強まるでしょう。ビデオを確認することで、悪質なプレーやシミュレーションもすぐに判明してしまいます」
一方で、マネジメントに関わる部分では「人間の判断」に委ねるべき部分もある。
「同じような接触でも“ファウルと判定されることもあれば、ファウルとならないこともある”ように、白黒はっきりさせられない事象が起こることもまたサッカーの性質です。そのあたりは、テクノロジーによる厳密かつ正確なジャッジとそぐわないこともあるでしょう。もし接触プレーのたびに試合を止めてビデオで検証していたら、サッカーの面白さは失われてしまいます。
サッカーは感情のスポーツでもあります。試合中に熱くなりすぎてしまった選手を落ち着かせる、不満を露わにしている選手に納得してもらえるように導くといった部分は、人間対人間でないとうまくいかない。判定にテクノロジーを導入する流れは当然だと思いますが、少なくとも判定を“全面的に機械に任せる”ということは難しいでしょう」