「私の場合は料理も表現の1つだと思って取り組んでいますけど、彼は違う。生きるために食ってるんです。全身全霊で絵を描くだろ。すると体はカラカラになり、欲求の赴くまま400gの肉をガツ、ガツ、ガツッて彼は食うわけだけど、体は消化できなくて、ゲーゲー吐きだすわけ。
つまり絵を描くのも肉を食うのも主人公にとっては生きることで、彼は何だかんだ言いつつ、生きることにまだ貪欲たり得ている。彼の設定を50代にしたのも、私の想像力が今50代くらいだからで、次の長編も15巻くらいにはなるだろうし、70を過ぎると年齢の感覚や暮れるという認識も意外とないものなんです」
酒場や、映画館や、ふとした街角で出会った人々が、「出会っただけで理由になるから」と登場人物になり、その細やかな交情がこうも滋味深い1篇になるのかと、改めて驚かされる掌編集だ。
「それが小説の言葉ですよ。例えば志賀直哉『城の崎にて』には1か所だけ、『いい色』という表現が出てくる。その綺麗でも美しいでもなく、いいとしかいえない言葉を求めて私はこれを書いたし、フローベールは『ボヴァリー夫人は私です』と裁判で証言したそうだけど、この画家崩れの主の弱さなんてヤベッて思うくらいオレの弱さだもんな。つまり登場人物は全て、私なんです」
物語を終わらせる痛みや、「言葉を凝視する苦しみ」に耐えたのも、来る長編のため。何より「小説は言葉」だと信じるからだという。
「私が銀座で飲んでばかりいると思ったら大間違い。あの本屋に何十何作も並ぶ本を書いたのは全部オレで、意外と勤勉なんです(笑)」
【プロフィール】
北方謙三(きたかた・けんぞう)/1947年、唐津市生まれ。中央大学法学部卒。1981年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。1983年『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞、1985年『渇きの街』で日本推理作家協会賞、1991年『破軍の星』で柴田錬三郎賞、2004年『楊家将』で吉川英治文学賞、2005年『水滸伝』で司馬遼太郎賞、2007年『独り群せず』で舟橋聖一文学賞、2011年『楊令伝』で毎日出版文化賞特別賞、2016年「大水滸伝」シリーズで菊池寛賞、2024年『チンギス紀』で毎日芸術賞など受賞多数。169cm、78kg、A型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2024年6月28日・7月5日号