田中敬子さん
一之輔:そこから、敬子さんとは……。
山本:事件現場になったことが申し訳なくて、連絡出来なくなったんですよ。その後の敬子さんのご苦労は人伝に聞いていたんですが、何のお力にもなれず……(涙)。
敬子:いや、私は主人が酔っ払って迷惑をかけたのかなって思っていたので、むしろ山本さんに「申し訳なかった」って思ったくらいで。
一之輔:交流が復活したのは、何がきっかけだったんですか?
山本:20年くらい前に上梓された敬子さんの自伝を読んで、今おっしゃったことが書かれていたんです。安堵しましたね。
敬子:それから、またお会いするようになって、今はお食事に行ったり、お酒も……(笑)。
一之輔:舟橋慶一さんは、かつてテレビ朝日のプロレス中継の実況アナウンサーですね。1975年12月11日の興行戦争、日本武道館「力道山十三回忌追善大試合」と、蔵前国技館「アントニオ猪木対ビル・ロビンソン」のときは当然、国技館にいらしたわけですよね。
舟橋:そうです。ただ、あのときは、猪木さんも複雑な心境だったと思うんです。何せ力道山を心底尊敬していましたから。追悼の気持ちを人一倍持っていたんです。
敬子:このときは何もわからないまま「この日に武道館で追善大会をやる」ってことで、私が主催者として祭り上げられたんです。