辛口で知られる野球評論家の江本孟紀氏は、坂本の今後の処遇に注目している。
「首脳陣の本音は若手に切り替えたいでしょうが、大功労者である坂本を粗末には扱えないとの考えもよぎるはず。坂本が二軍から戻ってきたときに、彼をどう扱い、どうフェードアウトさせるのか。ひいてはそれが、今後のジャイアンツの浮沈に大きく関わるでしょうね」
阿部・巨人は今、重大な岐路に立っているとする指摘だ。
「ファーストで復帰」という“劇薬”
坂本のサードへのコンバートは、プロ野球の世界ではよく見られるキャリア変遷だ。V9以後(1974年~)の巨人を守った河埜和正は守備の名手として知られ、坂本に更新されるまで球団最多の遊撃手出場記録(1370試合)を保持した。だが、年齢とともに徐々に守備力が衰え、1985年の王貞治監督就任の2年目にサードに回った。
1988年、高卒1年目のシーズンからショートに抜擢された“ミスター・ドラゴンズ”こと中日の立浪和義(現監督)はプロ5年目に肩の故障からセカンドにコンバートされ、レフトも経験したのち、2004年に落合博満・監督が誕生するとサードを守る機会が多くなった。
「サードはショートと比べて守備範囲が狭く、肩の強さもそこまで求められない。阿部監督が“坂本はまだ打てる”と判断したら、一軍復帰後に再びサードを託すかもしれない」(前出・スポーツ紙デスク)
サードに代わるもう一つの有力な選択肢となるのはファーストだという。阪神で名ショートとして活躍し、生え抜きとして球団初の2000本安打を達成した藤田平氏は現役時代をこう振り返る。
「1978年オフに真弓明信が移籍してきて、当時のドン・ブレイザー監督から『ファーストに回ってほしい』と頼まれてポジションが変わりました。ショートと比べてファーストははるかに守備の負担が軽い。“こんな楽なポジションがあるのか”と驚いた。その分、打撃に専念できて、1981年に初めて首位打者を獲れました。
もっと早くコンバートされていたら、もっと打てたはず(苦笑)。坂本はファーストに転向すれば、まだ成績が伸びると思いますよ」
巨人では原辰徳にサードのポジションを奪われた中畑清がファーストに回った例がある。前出・江本氏も「ファーストはあり得る」と指摘する。
「阪神の主軸だった田淵幸一さんがキャッチャーからファーストに回った例もあり、かつてのチームリーダーを“重し”としてサードよりさらに守備の負担の少ないポジションを任せるのは一つのプランでしょう」
(後編へ続く)
※週刊ポスト2024年7月19・26日号