「太陽」と「月」のような関係
徳田氏が「太陽」なら盛岡氏は「月」のような間柄で、徳洲会を繁栄に導いた。
が、しかし、徳田氏が衆議院選挙に当選し、巨額の裏金を政治に費やすようになると徳洲会の財務は悪化。銀行を交えた財務の立て直しの局面で盛岡氏は徳洲会を去った。そのひりひりするような顛末は、拙著『ゴッドドクター 徳田虎雄』に詳述したので、省略する。
政界の保守勢力のなかで徳田氏は迷走し、ALSを発症した。全身不随で、肉声を失っても視線を文字盤に這わせて意思を伝え、経営の舵を執ろうとした。
だが、病気が進むにつれて親族が経営に介入し、徳洲会は針路を見失う。2013年に徳田氏の次男が立った衆議院選挙で大規模な選挙違反が発覚し、幹部10人が公職選挙法違反で起訴された(徳洲会事件)。
盛岡氏の胸には、徳田氏とのさまざまな場面が去来する。
「いろいろありましたが、徳田さんは紛れもなく、稀有な医療人でした。僕自身、面はゆい言い方になりますが、青春の時代に救急医療、地域医療を構築するために彼と共闘できたことは生涯の誉です。一緒にたたかった戦友ですね。うん、戦友です。ご冥福をお祈りします」
翌朝、訃報メールをくれた盛岡氏に電話をすると「戦友」の死をこう語った。合掌。