ニオイ「対策」は必要なのか
一律に規制するのは難しいが、交通機関として無策でいてよい問題でもないだろう。Kさんは以前、ニオイ問題に対処するため、勤務先のグループ会社のタクシー会社やバス会社社員と「対策」について協議したことがあるという。
「バスでもタクシーでも、同様の問題はあるようですが、どうやっても抜本的な解決方法はありません。まさか、お客様向けに”体臭に気をつけて”などと張り紙をするわけにもいかない。逆に、タクシー乗務員がニオう、というクレームはかなり頂戴しているようですが、難しいところです」(Kさん)
ニオイの問題が社会問題化されつつある一方で、体臭の問題は多くが仕方のない生理現象であり、わきがのように治療をしないとおさまらないものもある。個人の努力ではどうにもならない可能性がある体臭を指摘することは失礼、という社会通念も存在する。さらに、ニオイを指摘することで相手を傷つけ、揉めるくらいなら自分が我慢した方が良いと考える人が大半だろう。周囲との軋轢を起こしたくないと思いながら生活するのが一般的な市民生活の送り方であって、ニオイの指摘をきっかけにトラブルに巻き込まれたくないというのは普通の感覚だ。だが、せめて自分は大丈夫かな?と振り返り、「周囲のためのエチケット」に気を払えているか考えてみることは重要だろう。
そもそも「自分は体臭がない」と考えてはいないだろうか。少なくとも、体臭がなくはないが、風呂に毎日入り洗濯もして、体臭が強くなるという肉食もそれほどしていないし、日常的に香りが強い香辛料も使わないから、不快になるようなニオイはないはずだと思っているだろう。だがそれは、あくまでも慣れているニオイだから感じ取れていないだけで、無臭ではない。毎日使っているシャンプーや、洗濯洗剤や柔軟剤のニオイがしているかもしれない。そのニオイだって、程度によっては不快なものと周囲には思われているかもしれない。自分は無臭、そうした思い込みが、知らないうちに他者を不快な気分にさせている可能性が十分にある、ということを知っておくべきだろう。
もっとも、自身のニオイが気になりすぎて、日常生活に支障が出ても困る。無頓着なのではなく、適度な気配りをお互いにするのが普通のことになって欲しいものだ。言いにくいし指摘もしにくい問題であることには間違いないが、これが大きなフラストレーションとなり、単なるニオイの問題が、大きなトラブルに発展することだけは、避けたいものだ。