妻であると同時に伊丹映画の顔として支えてきた宮本信子は敬意を込めて「伊丹さん」と呼ぶ

妻であると同時に伊丹映画の顔として支えてきた宮本信子は敬意を込めて「伊丹さん」と呼ぶ

「(伊丹さんは)アドリブはもちろんのこと、セリフの“てにをは”を変えるのも絶対に許さないんです」(宮本)

「(伊丹さんは)アドリブはもちろんのこと、セリフの“てにをは”を変えるのも絶対に許さないんです」(宮本)

「映画監督をするようになってからは、ともかく『自分の好きなものにやっと巡り合った』と言っていました」(宮本)

「映画監督をするようになってからは、ともかく『自分の好きなものにやっと巡り合った』と言っていました」(宮本)

「スタッフの皆さんも自分たちは『伊丹さんのお金で映画を作っているんだ』ということがわかっていたと思います」(宮本)

「スタッフの皆さんも自分たちは『伊丹さんのお金で映画を作っているんだ』ということがわかっていたと思います」(宮本)

「伊丹さんはしょっちゅう『映画で借金したり、家庭がめちゃくちゃになったりするようなことはしちゃいけない』とも話していましたね」 (宮本)

「伊丹さんはしょっちゅう『映画で借金したり、家庭がめちゃくちゃになったりするようなことはしちゃいけない』とも話していましたね」 (宮本)

『スーパーの女』(1996年)製作現場にて(時事通信フォト)

『スーパーの女』(1996年)製作現場にて(時事通信フォト)

数々の分野で類稀なる才能を発揮してきた伊丹十三さん(時事通信フォト)

数々の分野で類稀なる才能を発揮してきた伊丹十三さん(時事通信フォト)

51歳にして映画監督デビュー(写真/立木義浩)

51歳にして映画監督デビュー(写真/立木義浩)

51歳という映画監督としてはまれに見る遅咲き(写真/伊丹プロダクション)

51歳という映画監督としてはまれに見る遅咲き(写真/伊丹プロダクション)

異業種の才能が監督業に進出するのは今や珍しくないが、その先駆となったのも伊丹十三さんだった(写真/伊丹プロダクション)

異業種の才能が監督業に進出するのは今や珍しくないが、その先駆となったのも伊丹十三さんだった(写真/伊丹プロダクション)

撮影が始まった当初は、彼の手腕を見定めるような空気もあったという(写真/伊丹プロダクション)

撮影が始まった当初は、彼の手腕を見定めるような空気もあったという(写真/伊丹プロダクション)

俳優、エッセイスト、イラストレーター、テレビマンなど様々な分野で活躍(写真/伊丹プロダクション)

俳優、エッセイスト、イラストレーター、テレビマンなど様々な分野で活躍(写真/伊丹プロダクション)

「僕らからすると、配信は映画の“垂れ流し”に近いんです。洪水のように作品があって、ものすごい量の選択肢。観るほうは便利かもしれないけど、その中から選ばれなければいけない」(玉置)

「僕らからすると、配信は映画の“垂れ流し”に近いんです。洪水のように作品があって、ものすごい量の選択肢。観るほうは便利かもしれないけど、その中から選ばれなければいけない」(玉置)

「伊丹さんっていつもニコニコしながら喜んでいた気がしますね。僕は伊丹組のスタッフしか知りませんけど、彼らも間違いないなく伊丹さんの笑顔を見たい、伊丹さんが喜ぶ姿を見たいと思っていたはず」(玉置)

「伊丹さんっていつもニコニコしながら喜んでいた気がしますね。僕は伊丹組のスタッフしか知りませんけど、彼らも間違いないなく伊丹さんの笑顔を見たい、伊丹さんが喜ぶ姿を見たいと思っていたはず」(玉置)

伊丹プロダクションで社長を務める伊丹・宮本夫妻の次男・池内万平

伊丹プロダクションで社長を務める伊丹・宮本夫妻の次男・池内万平

「要は(伊丹さんは)“好奇心の人”なんでしょうね。新しいものが好きでしたし、常にいま何が起こっているのかに注目している人だったと思います」(池内)

「要は(伊丹さんは)“好奇心の人”なんでしょうね。新しいものが好きでしたし、常にいま何が起こっているのかに注目している人だったと思います」(池内)

伊丹十三記念館では、多彩な分野で活躍した伊丹十三の足跡を”13”のコーナーで紹介する(撮影/塩原洋)

伊丹十三記念館では、多彩な分野で活躍した伊丹十三の足跡を”13”のコーナーで紹介する(撮影/塩原洋)

伊丹作品第1作『お葬式』の準備稿。当初のタイトルは『別れの日』だった(撮影/塩原洋)

伊丹作品第1作『お葬式』の準備稿。当初のタイトルは『別れの日』だった(撮影/塩原洋)

台本は伊丹の手書きによって書かれている。原稿用紙の上半分のみを使う(撮影/塩原洋)

台本は伊丹の手書きによって書かれている。原稿用紙の上半分のみを使う(撮影/塩原洋)

「アヴォカード」といったユニークな伊丹流の表記も(撮影/塩原洋)

「アヴォカード」といったユニークな伊丹流の表記も(撮影/塩原洋)

伊丹本人が愛用していた金継ぎの器(撮影/塩原洋)

伊丹本人が愛用していた金継ぎの器(撮影/塩原洋)

伊丹が愛用していたカメラ実物(撮影/塩原洋)

伊丹が愛用していたカメラ実物(撮影/塩原洋)

湯河原の居宅で使われていたダイニングテーブル(撮影/塩原洋)

湯河原の居宅で使われていたダイニングテーブル(撮影/塩原洋)

伊丹は読書がライフワークだった(撮影/塩原洋)

伊丹は読書がライフワークだった(撮影/塩原洋)

テーラー「池田屋」で仕立てたチャイナ服と刺し子の半纏(撮影/塩原洋)

テーラー「池田屋」で仕立てたチャイナ服と刺し子の半纏(撮影/塩原洋)

筆記用具。年季を感じさせる(撮影/塩原洋)

筆記用具。年季を感じさせる(撮影/塩原洋)

伊丹十三記念館の中庭。建築家の中村好文氏が設計した(撮影/塩原洋)

伊丹十三記念館の中庭。建築家の中村好文氏が設計した(撮影/塩原洋)

記念館の横には伊丹の最後の愛車「ベントレー」(撮影/塩原洋)

記念館の横には伊丹の最後の愛車「ベントレー」(撮影/塩原洋)

伊丹十三記念館(愛媛県松山市東石井1丁目6番10号)

伊丹十三記念館(愛媛県松山市東石井1丁目6番10号)

多彩なキャリアや趣味を“十三”の名前にちなみ13のコーナーで紹介

多彩なキャリアや趣味を“十三”の名前にちなみ13のコーナーで紹介

1990年代からインターネットの可能性を模索していた伊丹はAppleのファン。映画の製作現場のネット配信に挑戦したことも

1990年代からインターネットの可能性を模索していた伊丹はAppleのファン。映画の製作現場のネット配信に挑戦したことも

関連記事

トピックス

幕内優勝力士に贈られる福島県知事賞で米1トンが
「令和のコメ不足」の最中でも“優勝したら米1トン”! 大相撲優勝力士に贈られる副賞のコメが消費される驚異のスピード
NEWSポストセブン
愛子さま
愛子さま、日赤への“出社”にこだわる背景に“悠仁さまへの配慮” 「将来の天皇」をめぐって不必要に比較されることを避けたい意向か
女性セブン
「学園祭の女王」の異名を取った田中美奈子(写真/ロケットパンチ)
田中美奈子が語る“学園祭の女王”時代 東大生の印象について「コミュニケーションスキルが高く、キラキラ輝いていた」
週刊ポスト
羽生結弦(時事通信フォト)の元妻・末延麻裕子さん(Facebookより)
【“なかった”ことに】羽生結弦の元妻「消された出会いのきっかけ」に込めた覚悟
NEWSポストセブン
目覚ましテレビの人気コーナー「きょうのわんこ」(HPより)
『めざましテレビ』名物コーナー「きょうのわんこ」出演犬が“撮影後に謎の急死”のSNS投稿が拡散 疑問の声や誹謗中傷が飛び交う事態に
女性セブン
シャトレーゼのケーキを提供している疑惑のカフェ(シャトレーゼHPより)
【無許可でケーキを提供か】疑惑の京都人気観光地のカフェ、中国人系オーナーが運営か シャトレーゼ側は「弊社のブランドを著しく傷つける」とコメント 内偵調査経て「弊社の製品で間違いない」
NEWSポストセブン
神田正輝の卒業までに中丸の復帰は間に合うのか(右・Instagramより)
《神田正輝『旅サラダ』残り2週間》謹慎中のKAT-TUN中丸雄一、番組復帰の予定なしで「卒業回出演ピンチ」レギュラー降板の危機も
NEWSポストセブン
小泉進次郎氏・滝川クリステル夫妻の出産祝いが永田町で話題
小泉進次郎夫妻のベテラン議員への“出産祝い”が永田町で話題 中身は「長男が着ていたとみられるベビー服や使用感のあるよだれかけ」、フランス流のエコな発想か
女性セブン
稽古は2部制。午前中は器具を使って敏捷性などを鍛える瞬発系トレーニングを行なう。将来的には専任コーチをつけたいという
元関脇・嘉風の中村親方、角界の慣習にとらわれない部屋運営と指導法 笑い声が飛び交う稽古は週休2日制「親方の威厳で縛らず、信頼で縛りたい」
週刊ポスト
柏木由紀と交際中のすがちゃん最高No. 1
《柏木由紀の熱愛相手》「小学生から父親のナンパアシスト」すがちゃん最高No.1“チャラ男の壮絶すぎる半生”
NEWSポストセブン
今年8月で分裂抗争10年目を迎える。写真は六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)
「宅配業者を装って射殺」六代目山口組弘道会が池田組に銃口を向けた背景 「ラーメン組長」射殺事件の復讐か
NEWSポストセブン
小泉進次郎元環境相と妻の滝川クリステルさん(時事通信フォト)
滝川クリステルの旧習にとらわれない姿勢 選挙区の横須賀では「一度も顔を見せないのはどうか」の声、小泉進次郎氏は「それぞれの人間性を大事にしていきたい」
女性セブン