アニメーションが国内の映画産業を支えるようになったいま、興行・批評ともに成功を収める実写映画のスター監督は出てこないのか──。初長編『お葬式』(1984年)の公開から40年。当時51歳にして監督デビューを飾った伊丹十三の登場は文字通り〈事件〉だった。
伊丹映画は、義弟である大江健三郎原作の『静かな生活』を除けば、そのすべてが自分で書いたオリジナル脚本だ。『マルサの女』(1987年)に代表される『女』シリーズでは、脱税、地上げ、民事介入暴力、スーパーの産地偽装問題など、社会の暗部に焦点を当てる題材で日本中をあっと驚かせた。原作ありきの企画が多くを占める現在の映画界と比べると、その唯一無二のフィルモグラフィは驚嘆に値する。
なぜ伊丹十三はわずか14年間という監督生活において10本もの独創的な映画を生み出せたのか。成功の裏にあったのは“セルフ・ファイナンス”という異例の製作方式だった。伊丹映画に製作として名を連ね、伊丹プロダクションの経営面を任された玉置泰氏(現・伊丹プロダクション代表取締役会長)が語る。
「次の作品をもっといいものにしたい、伊丹さんが常にそれだけを思っていたのは事実です。そして、それが実行できたのは、全部自分でお金を出しているから。外れたらその失敗は全部自分に来る。でも失敗しないように当たりそうな映画を作るわけでもない。当たるだけだったら自分で満足できないんですね」
映画製作において複数の企業が出資し、リスクを分散する「製作委員会」方式が徐々に広まったのは1980年代以降。時を同じくして映画を作り始めた伊丹だが、彼の映画は初長編の『お葬式』(1984年)以外、すべて自分たち伊丹プロダクションによる単独出資で作られている。
「自分として納得のいく映画を作ってヒットさせる。いい映画を作る人はたくさんいますが、普通、監督は映画が当たっても監督料プラスアルファをもらうだけですよね。でも伊丹さんは自分で宣伝もして映画をヒットさせて、その資金で次の映画を作った。全部やるんです。他の映画監督の方々と立場が全然違って、そういう意味でも恵まれていたと思います」(同前)