7月26日に、いよいよパリ五輪が開幕する。3週間余りの期間中、32競技329種目が行われる。だが、日本のお家芸とも言える種目が、パリの地では消えた。2021年の東京五輪で金メダルを獲得したソフトボールだ。
長年日本ソフトボール界を牽引してきた上野由岐子投手が、東京五輪でともに闘った峰幸代さん、渥美万奈さん(ともに引退)と、代表チームのトレーナーを務め、著書『一生歩ける喜び 「うで体・あし体」鴻江理論で人生が変わる』 でも注目の鴻江寿治氏をまじえて、3年前の「東京五輪金メダル」の裏側を語った。(文中敬称略)
〈上野と五輪を語る上で忘れてはならないのは、東京五輪からさかのぼること13年前の北京五輪(2008年)での「上野の413球」だ。北京五輪で、上野は2日間で3試合をひとりで投げ抜いた〉
上野「若さも気力もあって、年齢的なピークを迎えていたときでした。ソフトボールが北京を最後に五輪競技から外されると噂されていたタイミングだったので、“これで最後”という気持ちもありました。だから、416球も投げ切れたのかな、って」
峰「413球です!」
上野「あ、413球か(笑い)。自分がいちばんちゃんと覚えていないっていう。それぐらい無我夢中でやっていたということだと思います」
峰「北京のときはアメリカが最強の時代で、そこに対抗するために私たちもパワーを追い求めていました。とにかく力負けしちゃいけない、一瞬も緩められない、という感覚ですよね」
上野「そこから10年以上経って、東京では自分が力いっぱい投げるというよりも、“どれだけみんなに支えてもらうか”“どうまわりの選手を活かすピッチングができるか”ということを考えていました。感覚的には『攻める』ではなく『かわす』という感じです。同じ五輪なのに、北京と東京ではまったく違うマウンドに立っているような気持ちがありました」
峰「年齢を重ねたことでスキルも上がったしメンタル的にも余裕があったので、力を出すだけはなく“どう力を抜くか”ということを、私はキャッチャーのポジションで上野さんのボールを受けながら考えていました。心身のバランスが取れていたし、変化球の球種も質も上がっていましたから、すごい進化を遂げて東京に戻ってきたな、と感じていましたよ」
〈トレーナーの鴻江は、北京と東京どちらでも代表チームに帯同し、上野とは長年専属契約を結んでいる〉
鴻江「上野選手のケアに関しては、北京と東京で特段変えたということはありません。北京は若かったからとか、東京ではベテランだからといったことはなくて、その時々でベストなパフォーマンスを出せるように対応していました。ただ、東京五輪の初戦のオーストラリア戦で、初回にパワーで投げているように見えた時には、指摘したこともありましたね」
上野「ベンチに戻ると“パワーで投げていたら息切れするぞ!”って叱られました。三振を2つも奪ったのに……(笑い)」