〈12~13世紀にチンギス・ハンに率いられてアジアからヨーロッパにまたがる一大帝国を築いた遊牧民族。中国での漢字表記では蒙古族(もうこぞく)。狭義にはモンゴル国(外モンゴル)の人口の大多数を占めるハルハと中国、内モンゴル自治区に居住するチャハルをさすが、広義にはロシア領バイカル湖周辺のブリヤート、ボルガ川下流域のカルムイク、モンゴル国内に居住する若干の少数民族(デルベト、バイト、ザフチン、オリョト、トルグートなど)、さらに中国のトンシャン(東郷族)、ダフール(達斡爾族)、トゥ(土族)、ボウナン(保安族)なども含まれる。人口はモンゴル国に約182万(1996)、中国内モンゴル自治区に約480万(1990)である。体型的には典型的なモンゴロイドで、平坦(へいたん)な顔つき、目に厚い蒙古ひだがあるのが特徴的で、四肢は短いが、体つきは全体的に頑健である。(以下略)〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館刊 項目執筆者佐々木史郎)
おそらく、現在六十歳以上の人間なら明確に記憶していると思うが、かつて「蒙古斑」という言葉があった。新生児の臀部に見られる「青いあざ」のことで、かつてこれはモンゴル人と日本人が「同族」である証拠だなどと言われた。もちろんモンゴル人も日本人も人種学的に言えばきわめて近い人種であることは間違い無いのだが、最近はモンゴル人と日本人だけに見られる現象では無いことが医学的に証明されており、最近は「児斑」と呼ばれている。
〈乳幼児の体幹背面、とくに尾仙骨部を中心として現れる青色斑をさし、小児斑ともいう。モンゴロイド(黄色人種)に100%近くみられるところから蒙古(もうこ)斑Mongolian spotとよばれたが、白人でも10~20%、黒人では80~90%もみられるので、児斑または小児斑とよばれるようになった。(以下略)〉
(前掲同書 項目執筆者齋藤公子)
しかし、こんなことはいまでこそ常識だが当時の人々は知らないし、モンゴル人は農耕民では無いものの、顔かたちは日本人とよく似ている。また言語も中国語と違ってモンゴル語は助詞などを使って主語と述語を「くっつける」膠着語に属する。日本語も朝鮮語も膠着語だ。難しいことでは無い。
中国語だと「我愛你(ウォアイニー)」で済むが、日本語だと「私(は)あなた(を)愛し(ます)」のように「膠着」させる言葉が必要になるということだ。当然ながら日本語とモンゴル語は(朝鮮語も)語順や文法が同じになるから、中国語よりは覚えやすいことにもなる。ちなみに中国語は、言語学の分類では孤立語という。助詞などを必要とせず「孤立」した単語の配置によって文章を綴れるからだ。
いずれにせよ、同じ外国語でも日本人にとってはモンゴル語のほうが学びやすい。逆に、モンゴル人にとっても漢民族より日本人のほうが親しみやすいということになる。そこで、農耕民の漢民族とは相容れないモンゴル人と満洲族を日本の力で団結させて中国と対抗させよう、という動きが日本人のなかから出てくることになる。それを満洲族の「満」と蒙古族の「蒙」とを併せて満蒙独立運動と呼ぶ。
具体的には満洲(中国東北部)および中国領の内モンゴルを中国から分離独立させる計画になる。「内」モンゴルとは、モンゴル人の本拠である大草原地帯(外モンゴル)の南側で中国本土に近い一帯を指す。元の時代には英雄チンギス・ハンが基礎を築いた、外モンゴル、内モンゴル、中原(万里の長城の内側)すべてにまたがる大帝国があったのだが、元が漢民族の明によって滅ぼされると漢民族が草原地帯の南側を支配する形となった。「外」から見れば、本来は遊牧民のテリトリーである草原地帯が農耕民に奪われ、同胞が屈辱の支配を受けている、という認識になる。