そもそも、なぜこれだけ多くの人たちが、わざわざ手間や時間をかけて「19歳で飲酒と喫煙をするなんてケシカラン!」と叫びまくる必要があるのか。「よくないなあ」と感じたとしても、具体的に迷惑を被ったわけでもなく、言ってみれば自分には関係ない話です。
きっと、叫ぶことで“ご褒美”があるに違いありません。一生懸命に想像してみました。もしかしたら、世間的に「今、何を言ってもいい」とされている標的に石を投げることで、「いいことをしている快感」や「正義の味方になった気分」を感じられるからでしょうか。何だったら「世直しに貢献している自分」にウットリすることも可能です。
匿名なのになぜ進んで長いものに巻かれに行きたがるのか
気持ち悪さと同時に怖さも感じたのは、そんな「正しい意見合戦」が、ほぼ100%匿名の人たちによって行われているところ。実名で意見を表明している人たちは、多くが「やりすぎだ」と言っていました。ちなみに、このコラムもいつも最初に私の名前を記しているのに、それを読み取れないのか、勢いよく「書き手の名前を出せ!」と言ってくる方がたまにいます。繰り返しになって恐縮ですが、コラムニストの石原壮一郎が書いています。
話がそれました。匿名で意見を表明する数少ないメリットは、自分の立場や周囲の目を気にしなくてもいいところ。「19歳なんだから酒やタバコぐらいいいじゃないか。みんなやってたよね」と言っても、明日から職場で後ろ指を指されたりはしません(よっぽどひどいことを言えば、匿名ではいられなくなる可能性はありますけど)。
自由な身分にもかかわらず、なぜ「いい子」になりたがる人が圧倒的に多いのか。基本的に匿名で誰かを責めたり批判したりする行為に対しては、激しい違和感と疑問を覚えます。それはさておき、誰に頼まれたわけでもなく、無意識のうちに「いい子」の側に立ってしまうというのは、どういう心理なんでしょうか。何を恐れているのでしょうか。
いや、人様の生き方に口をはさむのはおこがましいですね。今回の件で、多くの人が自ら進んで「長いものに巻かれにいく光景」をたっぷり見ました。ひとりひとりに悪気はなくても、客観的には「寄ってたかって弱い者いじめをしている図式」になるんだと、あらためて感じました。「ああいうことはしないようにしよう」と、他山の石にさせていただきます。「世間様とはそういうものだ」ということも学びました。ありがとうございます。
いよいよパリ五輪が開幕するタイミングで、盛り上がった気分に水を差すようなコラムはご迷惑だったでしょうか。ともあれ、参加するすべての選手にとって、楽しく有意義な大会になりますように。そして、無責任な人たちの鬱憤を晴らすために、がんばっている選手が謎な理由でバッシングを受ける事態が起こりませんように。