【著者インタビュー】山内マリコ/『マリリン・トールド・ミー』/河出書房新社/1870円
【本の内容】
物語は「二〇二〇年・春」に始まる。《三月十二日、登録したばかりの学生用アドレスに大学からメールが届く。「新型コロナウイルス感染症の拡大により、本年度の入学式は中止いたします」。コロナ、なんか思ってるよりだいぶ深刻なんだって、はじめて焦った》。コロナが世界を襲った春、18歳の瀬戸杏奈は母と離れ、東京の大学に入学するためひとり上京した。自粛を余儀なくされる孤独な生活のなか、枕元に置いた《プリンセス・テレフォン》が鳴る。《やだごめんなさい、もう寝てた?》。電話してきたその女性は、マリリン・モンロー。若くして亡くなったモンローにあるはずだった未来、そして杏奈の大学生活は──。
一番怒っているのは大学生だろうなと思った
マリリン・モンローについて書きたいと、ずっと思っていたそうだ。
1980年生まれの山内さんが、1962年に亡くなったマリリンに興味を持ったのはどういうきっかけだったのだろう。
「元々映画が好きで、昔の俳優の名前には結構くわしいんですけど、昔からマリリン・モンローが特別好きだったというわけではありませんでした。
数年前に田中美津さん(女性活動運動家、鍼灸師)の『いのちの女たちへ』を読んだとき、ウーマン・リブの第一人者が書かれた名著ですが、マリリンのことは他者化されていて『ん?』と引っかかったんですね。男性の評価だけを気にして生きている女の総称として『モンローのような女』が使われているのにも違和感があって。マリリン・モンローをフェミニズムの文脈でとらえ直したら面白いのではと思いました」
書きたいと思いつつ、他にも仕事を抱えていて、まとまった時間がなかなかとれなかった。2022年に雑誌『文藝』から「怒り」をテーマにした特集で短篇を依頼され、書きたくてうずうずしていたマリリンのことを、まず短篇で書いてみることにした。
「主人公を大学生にしたのは、そのとき一番怒っているのは大学生だろうなと思ったからです。飲み会を開いてクラスターを起こしたと叩かれたり、せっかく入った大学の授業もオンラインに切り替わったり、サークル活動もバイトも思うようにできず友だちも作れない。大学生の中にふつふつと溜まっている怒りを、マリリンと組み合わせて書いてみようと考えたんです」
地方都市の、豊かではない家庭で育った杏奈は、シングルマザーの母の後押しもあって東京の大学に進学するが、入学した2020年にコロナ感染が始まり、授業も受けられない状態が続く。
東京の狭いマンションで孤独な毎日を送る杏奈のもとに深夜、1本の電話がかかってくる。かけてきたのは60年近く前に亡くなったマリリン・モンローで、杏奈は自分以上に孤独なマリリンの話し相手になる。
「古い電話機に死んだ人から電話がかかってくるという設定は、これまでの私の小説のリアリティラインからはかなり逸脱しています。でも、コロナが広がりはじめた2020年には、こんなありえないことが起きるのかという、世界線がゆがむような感覚がありました。ありえないことが起きてもそれほど突飛ではない、という感じだったので、これでいける、と」
杏奈は社会学部の学生で、3年生になるとジェンダー学のゼミに入る。杏奈がマリリンについて知っていく過程は、山内さんがマリリンの人生を知る過程そのものだそう。
「過去の文献を探すと、1980年代、1990年代に出版されたマリリンの伝記の大半は、男性の著者によって書かれたもの。今読むと書き手のバイアスを感じて読んでいて不快になることがありました。視点を変えたくて、最近アメリカで出た未邦訳の本を翻訳アプリを使って読んだり、国会図書館で古い雑誌にあたって、マリリンがどんなふうに日本で受容されていったのかを調べるといったリサーチに切り替えました」
頭の弱いセックスシンボルのイメージを押し付けられることにマリリンが苦しんでいたことは知っていたが、伝記の書き手の側にもバイアスがあったのではないかという山内さんの指摘には、目からウロコが落ちる思いをした。