初めて帰省すると表紙を飾った雑誌が
そんなことで6年目、26才で初めて里帰りすることができました。鹿児島の夏はいまよりずっと涼しくて、長い散歩に出たことを覚えています。子供の頃によく遊んだドブ川や、虫捕りをした公園。果てしなく広いと思えた地元が、大人の目と足で散歩するとこんなに小さな町だったなんて。
家に帰ると、母がきびなごの刺身と唐揚げを用意して待っていてくれました。きびなごの刺身は包丁を使わずに、手で開かないといけないので、すごく手間がかかるんです。一匹一匹頭を折って、指で身を割き、塩水で洗う。きれいに重ねられたきびなごの身をお箸でざっとすくって、ちょいと酢みそに。もう最高です。
ジーンと心の中で感謝した後「ぼくのためにありがとう」と口に出そうとするんですけど、待ちきれずに自分から言っちゃうんです。「あんた、きびなご大変だったのよ」なんて。それがおふくろですね。家には1年分の『MEN’S CLUB』が並べられていて、うれしい半面、複雑な気持ちにもなりました。一緒に住んでいる妹は、兄貴の顔ばっかり見たくないだろうなあって。
その後、先日亡くなった恩人の野崎俊夫さん(研音会長)から「万太郎に改名するのはどうか」と提案されて、沢村一樹という芸名を自分で考えました。原っぱにすっくと立つ一本の樹のように生きたいという願いに、野村の村を加えて。
いま、おふくろは施設に入院しています。コロナ禍の影響で、面会は15分。会えるのも、ぼくと妹だけ。ほとんど意識がないはずなのに、会うと声を上げるんです。息子としては、それだけでも愛情を感じます。