1984年3月18日午後9時すぎ、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に2人組の男が押し入り、入浴中の江崎勝久社長(当時42)を裸のまま連れ出し、3人目の男が運転する車で暗闇に消え去った。日本の犯罪史上かつてない異様な展開をみせた「グリコ・森永事件」の始まりだった。当時、兵庫県警捜査一課次席だった開発徹也氏(91)がその夜を振り返る。
「西宮署から県警本部に一報が入った。通常の凶悪犯罪では私が現場に行きますが、この時は『これは(上長の)課長を行かせないかん』と外にいた課長を呼び出し、課長と調査官がすぐ現場に行きました。緊急配備、捜査本部設置も早かった。ただ、最初は怨恨か金か、狙われたのが個人か会社か、目的はわからなかった」
日付が変わった19日午前1時15分、江崎グリコ取締役宅に電話があり、指定の電話ボックスから最初の脅迫状が見つかった。
“人質はあづかった 現金10億円 と 金100kg を よおい しろ“
「これほんまかいな、と思うた。どうやって運んで、どうするつもりなのか。10億円となると相当な量。だが、犯人が言うてきとるんやから、身代金目的の誘拐に間違いないと」(開発氏、以下同)
拉致から3日後、江崎社長は監禁されていた水防倉庫から自力で脱出した。
「当時、あの近辺で他の事件があり、報道か捜査のヘリが飛んでいた。犯人たちが捜されていると勘違いして逃げたのではと推察されている。それで社長は脱出できた」
安堵もつかの間、翌4月、脅迫状や脅迫電話、放火、報道機関への挑戦状送付など衝撃的な“劇場型犯罪”の幕が開けた。