背景や手の内を衒いなく明かす
「むしろ1人1人の能力は不完全だからこそチームや相方が生きるように書きたかった。『相棒』や『特捜9』の影響もあると思います。100通りの能力の中には〈透ける〉もあって、よからぬ想像をされそうですが、大変なんです、透けるのも。
『透明人間は密室に潜む』(2020年)にも書いたように、人混みは移動できないし、全然万能じゃない(笑)。そうやって制約や弱点を多分に孕む作劇の方が単に完璧な人が無双する話より、私の場合は好みなんです」
やがて被害者は工場員の〈山田浩二〉28歳と、本社勤務の〈白金将司〉55歳と判明する。〈犯人と被害者が接触した際、それぞれの体に付着した証拠が交換される〉ロカールの原則に基づいて〈微細証拠物件〉を入念に採取した永嶺らは、赤リンと紙繊維とホチキスの針から2022年に国内生産が終了した〈ブックマッチ〉を犯人が使用したと推定。マッチからアジトの特定を急ぐ一方、被害者のカードキーを使って洋生電力本社のパソコンに不正アクセスした人物の目的を探るべく潜入捜査を敢行する。が、少しずつ見えてきた事実が、次の瞬間には覆されるのも、本作の宿命であり、ラスト数行まで予断は一切禁物だ。
一方、起伏やバトルも満載な物語に差し挟まれるある原発反対派の、〈じゃああんたは、原発推進派なのか?〉〈答えられないだろ〉〈日本人はみな、沈黙する悪人たちである〉といった耳の痛い正論には、自身の経験も反映されたという。
「高2の春休み、改築中のプレハブの校舎で地震に遭った僕は、揺れで開いた床と戸の間の隙間に危うく手を挟まれかけ、腕を失っていたかもと震えました。以来、ミステリーが2年くらい、全く書けなかったんですね。虚構でも人を殺すのが嫌で。
そんなトラウマもあって、館四重奏シリーズでは毎回災害を扱ったり、あの時のことは自分の好きなものを愉しんで書く中でも、乗り越えるべき原体験になった。今なお再稼働が粛々と進み、東野圭吾さんが『天空の蜂』(1995年)を書かれた頃と何も変わらない現実がある以上、あそこまでうまく書けなくても、考えてはいきたいと思って。何だかすみません、重い話になっちゃって」
そうした背景や手の内を衒いなく明かすフェアさも、阿津川作品の美点の1つ。それでこそ「好き」や情熱は繋がっていくと、きっと著者自身が確信してきたのだろう。
【プロフィール】
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)/1994年東京生まれ。千代田区立九段中等教育学校在学中にミステリーを書き始め、東京大学卒業後、2017年『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。『紅蓮館の殺人』に始まる館四重奏シリーズや『透明人間は密室に潜む』で各ミステリランキングの上位に輝き、昨年は『阿津川辰海 読書日記』で本格ミステリ大賞評論・研究部門を受賞。175cm、A型。体重は「ネロ・ウルフとほぼ一緒だと思ってもらえれば。医者にはいつも怒られています」
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2024年8月16・23日号