実家は2回燃えた?
敦子被告の娘の夫が3年前に所有者となったこの新築一軒家を訪ねた。2階のベランダに幼い子供のものと思しき洗濯物がはためく。インターフォン越しに女性が応答したが、「そういうの(取材)受けてないんで」と話を聞くことは叶わなかった。
燃えたパン店や、その後住んでいた新築一軒家のある近くで、敦子被告は幼少期を過ごした。昔を知る住民は言う。
「逮捕のニュース見て、いやあ、本当にびっくりだったよ。敦子さんのお父さんはもともと、このあたりで寿司屋をやっていた。そのときに敦子さんも産まれたと思う。そのあと店を閉めて、家族は実家に戻ったんだけど、そこも昔火事になってるんだ」
角田市から白石市に向かう途中、のどかな集落の一角に、敦子被告の実家がある。ここで住民らに話を聞くと、実家が燃えたのは一度だけではなかったことが分かった。
「あそこは2回燃えたよ。どっちも全焼。最初に燃えてから、新しい家が建ったんだけど、そこも燃えた」
1998年の毎日新聞地方版に、当時の火事を報じる記事がある。
〈1階座敷から出火、木造2階建て住宅1棟約173平方メートルを全焼した。角田署の調べでは、座敷にはこたつやストーブなどがあったという〉(記事より)
この報道が一度目の火事なのか、二度目なのかは現時点で不明だが、「一度目の火事では保険金がおりた。寿司屋で使ってた道具なんかも燃えてたね」と住民らは言う。
敦子被告の生家を訪ねると、かつて家があったと思しき場所は更地になっていた。敷地の端に小さな平家がある。「いまは敷地の干し柿小屋を改装したところに、敦子のばあちゃんがひとりで住んでる」(住民の証言)というその家を訪ねたが、奥から大きなテレビの音が聞こえてくるだけで応答はなかった。
住民のひとりは言う。
「何で(村上隆一さんの)次男坊が自分の親を刺したのか分かんねえ。敦子なら分かるよ」
敦子被告の義理の弟であり、村上隆一さんの次男である直哉被告は、殺人を認めており、「霊媒師からお父さんを殺さないといけないと言われた」と供述しているともいわれる。一体なぜ、村上隆一さんは殺害されたのか。引き続き取材を進めていく。裁判員裁判の目処はまだ立っていない。
◆取材・文/高橋ユキ(フリーライター)