小泉今日子、中森明菜、渡辺満里奈、八神純子、広瀬香美、中山美穂、原田知世、坂本冬美、寺嶋由芙──デビューの時期も音楽性も活動スタイルも異なる女性アーティストたちだが、1つの共通点がある。それは、彼女たちの「持ち歌」を1人の女性が編曲していること。女性編曲家として45年間で1000曲以上のアレンジを手がけた山川恵津子さんが、先日『編曲の美学 アレンジャー山川恵津子とアイドルソングの時代』を上梓。執筆の舞台裏や仕事への情熱について聞いた。
“あの頃”の空気を届けたかった
本書は音楽畑でアレンジの仕事に没頭してきた山川さんの、初の著作となる。
「私がいちばん忙しく仕事をしていた歌謡曲全盛期はレコーディングスタイルも芸能界の在り方もいまとは全然違うので、10代20代の子たちと会話していると面白がられるんですよ。たまたまその話を聞いていた音楽プロデューサーの加茂啓太郎さんに、本に書いてみれば?とすすめられて、思わず引き受けてしまったんです。
だけど、これまで文章を書いた経験といえば、小学生の頃から高校までつけていた日記帳くらい(笑い)。誰かにインタビューしてもらって本にする“聞き書き”の方法も考えたけれど、あの頃の空気感は自分の言葉で書かなければ伝わらない。書いてみてダメならまた考えればいいか、と思い切って挑戦しました」
『ザ・ベストテン』(TBS系)を始めとして歌番組が絶頂期、小泉今日子・中森明菜・早見優ら「花の82年組」や秋元康氏がプロデュースしたおニャン子クラブほか女性アイドルが活躍し、彼女たちの歌うアイドルソングが日本中が口ずさむ──山川さんの話す「あの頃」、80年代は音楽制作の現場も桁外れの熱気に溢れていた。
「レコード会社も私達のような“職人”も芸能事務所も一丸となってひとつの作品を作ろうとする団結感があった。歌い手であるアイドルへの対応も、当時は何かにつけて“目が行き届いていた”印象があります。中学や高校から親元を離れて暮らす彼女たちに、仕事のスケジュール管理はもちろんのこと、礼儀作法やマナーなど、プロダクションのかたたちが親変わりとなってきっちり教えていた印象があります。
だけどそれゆえ、作業が深夜に及んだりスケジュールがタイトだったりしたことも数え切れないほどあって……。特に大変だった現場として印象深いのは、小泉今日子ちゃんの『100%男女交際』をアレンジした時。録った音源にダメ出しが入ってまったく別のものを作らないといけなくなったうえ、岡本舞子ちゃんのアルバム制作と別のプロジェクトも同時進行となって、59時間不眠不休でスコアを書き続けてやっと完成。
そもそもあの曲はダイナミックなパートから始まってイントロに入り、AメロBメロを経てサビに移ったあと、もう1回盛り上がりを迎える複雑な構成で、それをまとめ上げるのは本当に難しかった。忘れられない修羅場です」