〈故郷に帰るには、ターミナル駅からローカル線に乗り換えて、そこからが長い〉と、コロナ禍が収束し、4年ぶりに帰郷した末息子〈岬樹〉の心理的距離をも書き出しの1行で匂わせてしまう第1話「セメタリー」。母の一周忌を前に、鬱病で仕事も家庭も失った元医師の兄から突然再婚の報告を受けた妹〈冴子〉の、その意外なお相手や優秀な兄の面倒を見続けた母に対する屈託を描く第2話「ワンピース」など、乃南アサ氏の最新刊『マザー』は、母をめぐる5つの光景を様々な視点や角度から切り取った、短編の名手らしい短編集だ。
例えば、〈岬樹の家は田舎町でこそあれ、「ちびまる子ちゃん」に似た家だった〉と岬樹自身が喩えるように、祖父母と両親と3人の子供達が賑やかに暮らす家には常に笑いが絶えず、中でも母は〈我が家の太陽のような人だった〉と彼は思う。が、そんな昭和な家族も加齢や時代と共に形を変えていくのは当然とも言え、本書は母という幻想に甘え、依存してきた誰もが直面し得る、少々苦くてゾッとする短編集でもある。
「例えば第1話だと、最近よく聞く〈墓じまい〉とか〈死後離婚〉という単語が念頭にあったんですよね。誰かが耐えることで成立した昭和的な家族像が限界を迎えていて、死んでまで夫と一緒なんて無理と、そう思っている女性も実は結構多いんじゃないかなって。
私にとっては事件物やミステリーを書く場合も時代とそこに生きる人間が最も書きたいものなので、今作では今時の母親や家族や、歳をとることの難しさを書かせていただきました」
それこそ第1話で岬樹が回想する家族団欒の風景が微笑ましくあればあるほど、読む側はその明るさの裏で何が犠牲にされてきたかを第三者だけに想像してしまう。が、祖母が倒れ、祖父が認知症になってなお、〈毎日が宝探しみたいよ〉〈最近は『おにごっこ』も加わってるの〉と笑い話にする母に、東京で就職し、結婚もした岬樹は〈大したものだ〉と感心するばかり。そもそもコロナ禍が帰郷を阻む以前から〈あんたは心配しないで〉というのが、昭和の母親の口癖だった気もする。
また、〈母の人生とは結局、結婚後は父と家族のため、その後は兄のためだけにひたすら尽くすことで終わってしまった。その前の、娘時代の話、子ども時代の話を、もっと聞きたかった〉という冴子の悔恨にしても、そうできなくなって初めて気づくことを、多くの人が延々繰り返してきたのだ。
「子供ってそうですよね。自分が生まれる前の母親の人生なんて考える子はまずいませんし、あれ取ってと言ったら取ってくれるのが当たり前だと、子供も夫も当の母親すら信じている。
私自身は独身ですけど、結婚して子供もいる友達の寝顔を見ながら、なんだか切なくなっちゃったことがあって。寝る時以外はほぼ母親や主婦の立場で働き、自分の時間は皆無に近い。子供が巣立ったと思ったら今度は親の介護でしょう。
私の母だって晩年には疎開中のお友達の話とか、戦後に少しだけお付き合いした方の話を楽しそうにしていたんですが、結婚した後の話は一切しなかったんです(笑)。しかも、えっ、この人ってこんな人だったの?って娘の私でも驚く一面を垣間見たり。
母って結構怖いものを孕んでいると思うんです。大昔の恋話ならまだしも、そんなお花畑みたいな女性ばかりじゃないでしょうし、母は謎に満ちているという私自身の実感も、このザワザワした読後感に反映されているのかもしれません」