法要で若い衆を刺した
吉井誠容疑者は、そもそも京都を本拠とする会津小鉄会の大幹部だった。
「ヤクザになる前は松下電器に勤めとったんだけど、会津小鉄の金庫番をしていたカタギの人と仲良くなり、その後、渡世入りしたんです。紆余曲折あって会津小鉄の中島会に入ったときも、1回、事件を起こしよった」(会津小鉄会関係者と縁が深い京都の事業家)
1996年7月10日、会津小鉄会のヒットマン部隊が、京都府八幡市の理髪店で散髪中の山口組中野会・中野太郎会長を襲撃した。中野会長のボディガードが拳銃で応戦し、会津小鉄の2人を射殺し、中野会長に怪我はなかった。
「殺された2人の法要に、会津小鉄を絶縁になった組長に付き従っていた若い衆が参列したんです。暴力団社会では、組織を処分になった人間とつるんでいるのは絶対のタブー。吉井さんはそいつを不意打ちしてぶすっといきよった(※刺した)。この事件で懲役に行った。出所した後は中島会に戻らず、会津小鉄六代目となった馬場美次会長に拾われた。だから会津での最終的な経歴は馬場組です」(会津小鉄会元幹部)
2015年に山口組が分裂すると、会津小鉄会は離脱派の神戸山口組側と連携する。会津小鉄の会長である馬場六代目が、神戸山口組のトップ・山健組四代目井上邦雄組長と兄弟分だったからだ。
2017年、山口組分裂のあおりを受け、今度は会津小鉄会が分裂してしまった。弘道会をはじめとした六代目山口組側は、会津小鉄会から絶縁になった若頭を支援して後見となり、当方こそが正当な会津小鉄会だと主張した。神戸山口組の支援を受けていた旧勢力はこれと真っ向から対立し、双方が七代目会津小鉄会を名乗るという前代未聞の事態に陥った。
私はどちら側の襲名式も取材し、会場内に入って写真を撮ったが、馬場六代目会長が代目を譲った金子利典七代目の襲名式には、吉井容疑者の名前を書いた書き出しがあり、当然、彼も式場にいた。