日本で最初の、ろう者主演女優としてデビューした忍足亜希子さん。着実にキャリアを積み上げ、25年が経った今、集大成ともいえる作品に臨んだ。親子の絆を描いた、しみじみと心揺らす物語だ。さまざまな困難に立ち向かいながらも、一途に自分の道を切り拓いてきた、その軌跡を追った。【前後編の前編。後編を読む】
人は皆、全部違う。どの世界も存在していい
現在、全国で上映されている映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、公開前から大きな話題となっていた作品である。東北の小さな港町で、耳のきこえない両親のもとに生まれた、きこえる少年(吉沢亮)。実話である原作をもとに製作された今作には、決して平凡とはいえぬ境遇を背負って生きていかねばならない少年の、苦しさと葛藤とが描かれる。
そしてその息子に、懸命に愛を注ぎ、強く明るく成長を見守っていく母親は、どこにでもいる市井の母の姿であり、登場する人々の、悲喜入り混じる人生と共に、深い感動を与えられる。
その母親役を演じたのが、忍足亜希子さん。ろう者の女優である(夫役の今井彰人もろう者の俳優である)。忍足は25年前に女優として映画主演デビューし、コツコツとこの道を歩いてきた。
「原作を書かれた作家の五十嵐大さんは、私とは逆の形の家庭で、私の両親はきこえる人たちですが、きこえる世界、きこえない世界を行き来しながら、孤独を感じたり葛藤してきたところは同じです。読んだときは痛いほど胸に刺さりました。脚本には『全部、お母さんのせいだよ! 障害者の家に生まれて、こんな苦労して!』といったセリフもあるのですが、私は私で、お母さんに『なぜ私を産んだの!』と叫びたかったときもある。ひとつひとつが、自分ごとでした」
取材は、手話通訳の方を介して行われた。こちらの質問を手話で忍足に伝え、その返事を彼女が手話で返してくれる。通訳は、テレビドラマ『デフ・ヴォイス』(NHK)の撮影でお世話になった方だといい、ふたりの間にしっかりと信頼関係があることが、みてとれた。
そして忍足の手の、強弱のあるきれいな動きや、その動きと共に取材者と通訳者に交互に向けられる目も、充分に感情を伝えてくれていた。聴者にとってはあたりまえな会話も、ろう者にとっては、生きることそのものなのだと、教えられる。
今作の監督を務めたのは、心理をきめ細やかに演出することで知られる、呉美保。息子を演じたのは、演技派といわれる吉沢亮である。苦悩しつつも次第に自分の居場所を見出し、成長していく青年の心情を繊細に演じ、これまでにない表情をいくつも見せていた。そして母とかわす手話はいかにも自然であった。
「吉沢さんとは撮影前、2か月ほど手話の練習を含めた稽古をしたのですが、本当に真摯な方。端正なルックスで、カッコよくて。私はさも普通な感じで接していたのですが、実のところ、ちゃんと顔を見られないくらい緊張していました(笑い)」
この映画を通して、たくさんの人たちに、少しでも伝わるものがあれば、と願っている。
「人は皆、全部違う。世の中はどれが、誰が優位ということではなく、どの世界も存在していていいのだということ、そして親子というものについて、あらためて考える、ひとつのきっかけとなってもらえたら、とてもうれしいです」