中田被告の供述で「山口組分裂抗争」が終わる可能性も
この日、神戸地裁で行なわれた裁判員裁判は2019年8月、神戸市中央区にある六代目山口組の中核組織・弘道会の関係施設前において、弘道会系組員が何者かに銃撃された事件の初公判だ。被害者は5発の銃弾を至近距離から撃たれ、右腕を切断するなど全治半年の重傷を負った。
事件直後から暴力団関係者の間には、事件現場の防犯カメラ映像が流出。フルフェイスのヘルメットをかぶった人物が、バイク上から車の中を銃撃する犯行の決定的瞬間が映されていた。わずか2秒ほどの犯行であり、その手慣れた様子に関係者らは、「抗争相手の神戸山口組か、任侠山口組(現・絆会)のヒットマンによる犯行だろう」と見ていたが、事件から約4か月後の同年12月、犯人として中田被告が逮捕されると驚きが広がった。
「当時の中田被告は、神戸山口組・井上邦雄組長の出身母体であり、山口組の名門組織として知られる山健組の組長。そして神戸山口組のNo.2である若頭。分裂抗争を指揮する立場であり、現場でヒットマンをやる人物ではない。一体何があったんだと大きな話題になりました」(実話誌記者)
一方で当時、井上組長と中田被告の間に不穏な話もあった。
「事件の約半年前の2019年4月に、神戸市の路上で、山健組の若頭が弘道会傘下組織の元組員2人に刃物で襲われ、重傷を負う事件があった。山健組としては当然、弘道会にカエシ(報復)をしなければならない。中田被告は井上組長から、“早くしろ”と強く迫られていたと言われている。さらに2019年8月ごろには、井上組長が中田被告を殴ったという噂まで流れ、あわせて中田被告が神戸山口組や山健組の定例会に姿を見せなくなっていた」(同前)
その直後に今回の事件が発生したため、「中田被告はヤケになって犯行に及んだのではないか」とも囁かれていた。また、事件から2年後の2021年9月には一部の組員を残して山健組が六代目山口組に復帰。中田被告も勾留中でありながら「幹部」というポストを与えられている。
「こうした経緯のため、中田被告の供述には非常に強い関心が寄せられていた。もし万が一、“事件は井上組長の指示だった”などと供述したものなら、井上組長が使用者責任を問われることになる。中田被告の一言をきっかけに、10年目に突入した山口組分裂抗争を終結させる可能性もあり得たわけです」(同前)