第一部「一九五四年」で治道は18歳。早稲田の文学部に通い、ボディビルサークルで親友〈重森〉と汗を流す彼は、最近父親が始めた〈奇妙な昼食会〉が気鬱でならない。今も複数の愛人をもつ父は、毎週火曜、銀座の高級店に同い年の異母兄〈直生〉と各々の母親の出席を強要。東大工学部で建築を学び、治道のことを嫉む直生も、祖父の美学を伝える施設の創設を夢見る学芸員志望の治道も、誰も父には逆らえないのだ。
そんなある日、彼は父が見知らぬ男に筒状の何かを渡すのを見かけ、胸騒ぎを覚える。果たしてそれはかつて祖父が〈この刀は烏丸家の守り神です〉〈治道さんは、背筋のよい人になってください〉と言って自分の背に押し当てた無銘だった。
彼はその派手な背広姿の男〈藤永〉が渋谷の愚連隊〈松島組〉の一員だと知り、重森共々、ある行動に出るのだが、一連の騒動もまた東京の街の蠢きの中に呑み込まれていくのである。
シンパシーよりエンパシーを喚起
「僕自身は刀好きでもないし、刀は美術品だという理屈を詭弁だとすら思っています。本を正せば人殺しの道具じゃないかって。そうやって刀本来のアイデンティティを曲げてまで所有を認めさせた経緯自体、戦後の日本そのものですし、その視点を僕は刀のことを何も知らずに書いたから、発見できたかもしれない。前作『不夜島』でもあえて全く何も知らなかった台湾を舞台にしたり、その方がバイアス抜きに書ける部分もあると思うんです」
昭和に関してもそう。
「今の30歳以下の世代からすると、昭和史自体がもうフィクションなんですよ。特に最近は昭和とか戦争周りの著作権が切れ始めていて、女子高生がタイムスリップして特攻隊員と恋に落ちる話を特に違和感なく消費しても大丈夫な空気がある。それって怖いことだし、例えば原爆の語り部の方の平均年齢が90近くなる中、戦争や昭和史を非当事者が誠実に語っていくことって大事だと思うんです」