大分から20時間かけてようやくたどり着いた輪島市だったが、尾畠さんを待ち受けていたのは意外な“壁”だったという。
「(登録や許可が必要で)すぐにボランティア活動はできないと。『県庁と市役所、社会福祉協議会に許可をもらってOKならチームに入って行動してください』と聞いてちょっとダメだなぁと思った。これまでは被災地のボランティアセンターに行けばすぐに始められたけど。車中で1泊だけして帰りましたが被災地を前に何もできず、初めて涙が出ました」
地元で今も続けるボランティア活動
地元の大分では、別府湾の海岸を清掃したり、子どもたちの通学路の草刈りを日々続けている。
「海岸のテトラポッドには、ありとあらゆるゴミが溜っています。潮の満ち引きに合わせて3~4時間ほど清掃をしています。
人から『手伝いますよ』と言われても断ってる。テトラポッドでの作業は危ないから、作業は全部自分でやっています」
毎日3~4時間、歩いているという尾畠さんは、海岸沿いで大好きな歌手・芹洋子(73)の『坊がつる讃歌』を大声で歌うことが健康の秘訣だと語る。だが、長年酷使した体は悲鳴を上げていた。
「右目が見えないんです。緑内障になってダメと言われました。病院の先生から眼帯を勧められましたが断った。右耳も聞こえないけど、補聴器とかは嫌いだからつけません。あと、ガンで胃の一部を切除してるけど、自分に衰えを感じたことは、まーったくない。被災地に行くとね、普段出ないような力が出るんですよね。“バカ力”だよね」
尾畠さんは、ボランティア活動をする上で、決めていることがあるという。