「私が車を運転しているときに、師匠から『どんなネタをやりたいねん?』と聞かれ、漫談をやりたいと伝えたら『やってみい』と。緊張しながら漫談を始めたら後部座席から師匠が『危ない! ほら! そこ! 信号赤や!』と。しゃべることに必死で運転がおろそかになり、よく怒られました。
長時間ダメ出しを受けている時に『はい、はい』と私が返事をしていたら、『“はい”が陰気や!』『お笑いは“はいっ!”と元気よくいわないかんねん。わかったか。違う! なんで元気よく“はい!”と言われへんねん!』と、よく怒られました」
弟子に就いてしばらくは、笑瓶さんのことを「師匠」と呼ぶことも禁止されていた。
「弟子に就いてすぐ『師匠とお呼びしていいでしょうか』と尋ねたら、『まだ弟子として取ったわけではないから“笑瓶さん”でいい」と言われました。弟子入りから4カ月後の8月に師匠を迎えに行き、師匠が自宅から出てきたときに『おはようございます』と挨拶をしたら突然、『命名しよう。笑助!』と仰って、そこから『笑助』と呼んでいただけるようになりました。認められたようで、うれしかったですね」
約3年半の修行生活を終えてからも、事あるごとに師匠と顔合わせ、数カ月に1度の電話は欠かさなかった。笑助氏は笑瓶さんとの最後の会話が忘れられないという。