複数の男性との関係が噂に
優汰は2008年5月生まれ。篠原が34才、市村が59才のときに授かった待望の第1子だった。
「当時、市村さんは“神様から天使を授かりました”とコメントし、年を重ねてから子供ができたことに感激していました。お腹の中にいるときからエコー写真に優しい顔で写っていたことから優汰と名付けられ、市村さんは『存在していることが幸せ』とうれしそうに話していたものです」(芸能リポーター)
幼い頃から市村の舞台を見て育った優汰が、父と同じ俳優の道を志すようになるまでに時間はかからなかった。父のひとり芝居『市村座』で初舞台を踏んだのは8才のとき。2021年に市村主演の『オリバー!』でミュージカルデビューし、翌年、父と同じ事務所に所属して本格的に俳優業をスタートさせた。
「子供の頃から父親の真似をして“舞台ごっこ”をして遊んでいた優汰くんにとって、市村さんはヒーローのような存在だったといいます。
進路を決めた最大の理由は、『屋根の上のヴァイオリン弾き』の映像を見て感銘を受けたことだとか。『自分にはこの道以外ない』と考えるようになり、市村さんも彼のことを“神童”と絶賛。帝国劇場に連れて行き『いつかはこのステージに立つんだよ』と言い聞かせ、役者としての“英才教育”を施していたといいます」(前出・芸能リポーター)
篠原も、自分に似た眉目秀麗な長男を溺愛し、「パパのような俳優になってほしい」と周囲に話していたという。
「当時の篠原さんは夫と息子が寝ている間に掃除と洗濯を済ませ、仕事が終わるとまっすぐ帰宅する日々を送っていました。2012年に次男を出産した後は、胃がん手術を受けた市村さんを献身的に支えながら2人の子供たちの“お受験”を懸命にサポートし、見事、都内の有名私立小学校に合格させました」(前出・芸能リポーター)
子宝に恵まれ、仕事も充実していた年の差夫婦。誰もが憧れる理想的な家庭に崩壊の足音が近づいたのは2017年頃のことだった。
「次男の出産、そして育児に追われるなかで飲酒を控えていた篠原さんが、この頃から飲み歩く姿がひんぱんに目撃されるようになったのです。夫婦の不仲や“育児疲れ”が取り沙汰され、離婚危機がささやかれました。次男が小学校に入学し、手がかからなくなってから、張り詰めていた糸が切れてしまったのかもしれません。
仕事で多忙を極めると次第に家で過ごす時間が減っていき、彼女だけが別のマンションで暮らすようになりました」(前出・芸能リポーター)
2021年7月、篠原と市村は連名で離婚を発表。長男と次男の親権は市村が持ち、慰謝料、財産分与もない円満離婚だった。同時期に篠原は複数の男性との関係を報じられたが、一貫して噂を一蹴。後のインタビューでこう語っている。
《母・妻として完璧にこなさないとダメだと勝手に思い込んでいて、できていない自分に自己嫌悪。結果、心身ともに疲れ果て、何もできなくなっていた時期がありました。それで家族と話し合い、最終的に離婚という選択になりました》(『美ST』2023年10月号)
離婚後も篠原は毎日のように市村と子供たちがいる家に行き、以前と変わらぬ生活を続けた。
「互いにストレスをためることなく、いままで通りの関係を続けるスタイルを篠原さんは“新しい家族の形”と表現していました。市村さんに親権を譲ると決めたとき、心配だったのは高齢の彼にかかる“シングルファザー”としての負担だったといいます。それでも、彼女には市村さんにとって宝物である子供たちを奪うことはできなかった。両親の決断を子供たちは悩みながらも最終的には理解してくれたといいます」(芸能関係者)