ここであらためて認識するのは、ソビエト共産党がロシア皇帝ニコライ2世一家を全員惨殺「しておいた」ということだ。もし一人でも生き残っていて、それが新ロシア帝国建国のシンボルとして皇帝にでも祀り上げられていたらどうか? セミョーノフとコルチャークも「皇帝陛下の臣下」として共闘しなければならなくなる。現に内蒙古ではそういう存在が不在で団結できなかったが、外蒙古ではジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)を担ぎ出したことによって、見事に政権が成立したではないか。
この点、ニコライ2世一家を皆殺しにしたソビエト共産党つまりレーニンの「作戦勝ち」なのだが、対抗する手段はまったく無かったのか? 日本の天皇家と違って、ヨーロッパの皇室は各国相互に嫁や婿のやり取りをしている。現に、当時のドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世とニコライ2世はイトコ同士であった。ドイツは直前までロシアと殺し合っていた国だから、そこの皇族を引っ張ってくるのは無理だとしても、広範囲で探せばそうしたシンボルになるような皇族は一人もいなかっただろうか。
ここであらためて思い出すのは、ナポレオン3世がメキシコ共和国を攻めてフランス寄りの帝国に改変しようと目論んだとき、メキシコ皇帝にかつぎ上げる予定だったハプスブルク家のマクシミリアン(オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟)のことである。これこそ「ミクロに歴史を見る」歴史学者の先生方に追究してもらいたいところだ。適任者はいなかったのか、チャーチルはなぜそういう手段を取らなかったのか、ということを、だ。
シベリア出兵つまり対ソ干渉戦争、それは具体的にはバイカル湖以東を白軍の国家「新ロシア帝国」にすることだが、それが大失敗に終わった原因は「シンボルの欠如」だけで無く、「新国家のビジョン」が無かったことも大きい。軍事力で支配しなんの希望も示さない政権は、住民の反抗を招くだけである。
さて、ここで人間世界の常識に基づいて考えてみよう。決して難しいことでは無い。前にも述べたように、このシベリア出兵が「山県の夢」いや「日本民族の悲願」であったにもかかわらず、そして今回述べたように一度は成功したにもかかわらず日本人の印象が薄いのは、失敗した連中が必死にその痕跡を消そうとしたからである。当然、数多くの史料も抹殺されている。それが人間世界の常識だ。
しかし一方で、人間は必ず大失敗の経験を分析してそこから学ぼうとする。言うまでも無いことだが、二度と同じ失敗を繰り返さないためである。歴史学者の先生方にもいったん高尚な学問から離れて(笑)考えていただきたいのだが、あなたの人生には大失敗は無かったのか? その大失敗をあなたは、ただ記憶のなかから消そうとしたか? そうではあるまい。その大失敗を恥じるがゆえに、二度と同じ過ちを繰り返すまいと教訓にしようとしたはずだ。それが人間世界の常識であり、それは現代の日本人であれ戦前の日本人であれ、同じことのはずである。
では、このシベリア出兵という大失敗、せっかくの日本の敵国が内乱で分裂しそれに軍事介入することによって半分を日本の与国(味方)にできる絶好のチャンスが来たのに、むざむざそれを逃したという大失敗から学ぶべき教訓とはなにか?
一つは、味方する勢力には「統合のシンボル」が絶対に必要だということだ。そしてもう一つは、単なる軍事介入では無く、その地の人民が支持する国家としてのビジョンを示し、行政機構を整えることだろう。
私がなにを言いたいのか、慧眼の読者はおわかりのはずである。
(第1438回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年12月6・13日号