1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、サラブレッドとアラブ種の交雑種、アングロアラブのレースの思い出についてお届けする。
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競馬歴の長い方はご存じでしょうが、僕が若手ジョッキーだった1980~1990年代には、まだサラブレッドとの交雑種アングロアラブのレースがありました。スピードを追求するサラブレッドはどうしても体質の弱さがあり、気性も激しくなりがちなので、丈夫で性格も素直なアラブ種と配合したわけです。
日本でも軍馬として重用され、戦後は競走馬としてレースに出走、かつてはサラブレッドより生産頭数が多かったそうです。地方競馬の兵庫(園田・姫路)や金沢などはアラブのレースしか行なわれていないぐらいでした。中央競馬でも土曜日の第1レースなどは、「ア ア」となっているレースが多かったのです。
僕も何回かレースで乗せてもらいました。スピードがないというのはアラブ馬同士で走っているだけではわからないけれど、走るリズムがサラブレッドとは違うなとは思いました。体が小さいのもあるけれど、ちょこちょこ走っている感じでした。
僕のデビュー当時、アキヒロホマレという馬がめちゃくちゃ強かったことを覚えています(アラブ限定のレースでは19戦18勝)。相手がいつも同じ馬だから勝ち続けられるんですね。ハンデ重賞では70キロを背負っても勝ったし、サラブレッドと同じレースで走って3着になったこともある。この頃は賞金だってそんなに高くないのに1億7000万円も稼いだそうです。
当時はまだ馬主さんも馬の数も少なくて「抽せん(籤)馬」というシステムがありました。これはJRAが購入した馬を、希望する馬主さんに抽せんで販売することで、定額で取引されました。なかには桜花賞やオークスを勝った馬もいたし、ウオッカのお母さんも確か抽せん馬だったはずです。そしてアラブ馬はすべてが抽せん馬でした。サラブレッドはきょうだいで能力が違うことがあるけれど、アラブは血統通りに走る確率が高いと言われていました。