昭和の銀幕スター・菅原文太さんが亡くなって10年が経った。『現代やくざ 人斬り与太』『人斬り与太 狂犬三兄弟』などで共演した女優・渚まゆみが思い出を振り返る。
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『現代やくざ 人斬り与太』(1972年)のお話が来た時、私は石原プロにいたのですが、マネージャーからは「こういうやくざ映画はだめ!」と言われていました。でも、私としては、今までと違う役柄をやってみたいという気持ちがあったんです。刺激が欲しいなと思っていた時期だったので、頭にひらめいて深作欣二監督と渋谷東映の地下の喫茶店でお会いしました。「やります!」って言ったら、監督も「おっ、そうか!」って喜んでくださって。マネージャーは「本当か!」と驚いていました。
現場での監督は「好きなようにやっていいよ」って感じなんです。私はいろんな酷い目に遭う役柄でしたが、もう自由に、自分の気持ちでバーっとやりきりました。本気で「やだ! 何するの!」って暴れ回ってね。監督のイメージと違っていると、「そこまでしなくていい」と指導してくれますから。
次の『人斬り与太 狂犬三兄弟』(1972年)では全裸で逃げるシーンがあるんですよ。あれも「大丈夫か!」「大丈夫です!」とか言いながら、積極的に自分がやりました。すると監督も「よし。渚くん、こっち走って! あっちまで行って!」って。こちらも「ハイ!」って、ルンルンでやってましたね。楽しくて。でも母には「もうやめれ」と言われていました。
文太さんには本当に優しくしていただきました。撮影が終わると、いつもウチに送ってくれるんですよ。雪駄履いて、やくざの格好のままで。それを母が見て「えー! うちの娘、やくざと付き合ってる」って大騒ぎだったの。「あんなやくざみたいな人なんかだめだ!」って。そんな母も最後は「あの人、いい人だ」と言うようになり「ちょっと上がって」って、一緒にテレビを見たりしました。