赤坂のナイトクラブに連れて行ってもらったこともあります。途中で文太さんが「もう帰るか」って言うから、「私も帰りたい」「じゃ、帰ろう」ってそこを出て、「どうする?」って聞くものですから、「なんか食べたい」「よし。どこ行こうかな」なんて。品川でロケした後には、一緒に山手線に乗って帰ったんですよ。「まゆみ、大丈夫か。こっちこっち」なんて言って、つり革のところに案内されたりね。
最後の共演は『山口組外伝 九州進攻作戦』(1974年)ですかね。この頃はそういう役ばかり来るようになっていて、ずっとお断わりしていたんですよね。でも、「もう一回だけ、なんとか出てくれないか」と東映に言われて。こちらも、「あ、文太さんに会えるな」と思って出ました。ただ、深作監督ではなかったので、前みたいにバーッというお芝居ではなくて、淡々と撮っていましたね。それでも「まゆみ、どうもありがとな」とか文太さんに言われると、「うん、大丈夫!」なんて言ってね。演技でかわいくしているわけじゃなくて、自然とそうやっちゃうんです。
あの作品は京都での撮影でしたが、京都でもあちこちに連れて行ってくれて。撮影が終わってから飲みに行ったり、文太さんの周りの人たちも含めてみんなでワイワイやったりするのは楽しかったので、それはもう欠かさないで参加していました。勝新太郎さんが合流することもあって。もう本当に妹というか、子どものように文太さんと接していました。
【プロフィール】
渚まゆみ(なぎさ・まゆみ)/1944年生まれ、秋田県出身。1961年に大映から女優デビュー。『ザ・ガードマン』『流氷の女』などのテレビドラマ、青春映画や時代劇、ヤクザ映画などに多数出演。歌手としても活躍し、1973年に作曲家・浜口庫之介と結婚した。
■取材・文/春日太一(時代劇・映画史研究家)