2024年は誕生日当日が月曜日だったこともあり、12月6日金曜日の夕刻に、テレビと新聞の担当記者に宮内庁から文書が配布される予定だったという。
「文書は手渡しで配布される予定でした。しかし、時間になっても一向にその気配がない。夕刻を過ぎ、夜が更けてからも届かないため、担当記者たちは一旦“解散”になりました。結局、日付が変わりそうになるタイミングまでずれ込み、文書はメール配布でした。『遅延常習』の背景には、不完全なものを急いで出すより、時間をかけてでも完成度を高めたいという雅子さまのお考えがあったのでしょう」(前出・別の皇室記者)
2024年は誕生日直前の11月に三笠宮妃百合子さまが薨去され、雅子さまはたびたび弔問に出向かれるなど、文書作成の段取りは例年通りとはいかなかったはずだ。
「それを考えれば、“誕生日前日までに文書が完成しない”といったことが起きてもおかしくありませんでした。むしろそういった事態にまで至らなかっただけでも、担当記者は安堵していました」(前出・別の皇室記者)
だが、遅延が“当然のこと”と周囲に認識されていること自体が問題をはらむ。雅子さまの誕生日に際しては、文書と同時に、医師団の見解が公表された。そこには2024年も例年と同様、《御快復の途上にあり、依然として御体調には波がおありです》と記されている。
「『四大行幸啓』に数えられる公務などは事前に念入りに体調を整えられて臨まれていますが、公務が続いたりすれば、お疲れが出ることもあるわけです」(前出・皇室記者)
そうなれば、文書の作成に時間がかかることも起こりうるし、実際に遅延は発生した。
「遅延が常態化しているのだから、そうした事態を事前に見越して、雅子さまに早め早めの進行を進言してお支えする側近がいてもよさそうなものですが、それが誰もいない。だから、遅れが毎年のように起きるのです。“また今年も遅れた”という印象が定着したら、雅子さまにメリットは何ひとつありません。
国民は雅子さまのご体調が完全快復することに期待を寄せているので、こまごまとした遅延や遅刻で期待を裏切る必要はまったくない。にもかかわらず、誕生日文書をめぐる混乱を放置している周囲の責任は大きいです」(宮内庁関係者)