誰がための再開発か
稲垣氏は1981年に同団体を結成。建設作業員に対する傷害、大阪市職員への暴行、道路交通法違反、威力業務妨害の疑いなど、いずれも自身の活動中に複数回の逮捕歴もある。本人に話を聞いた。
「センターの耐震性に問題があるのは本当でしょう。だからといって潰す理由はない。耐震工事したらええだけの話や。老朽化うんぬんは口実で、大阪市は労働者をバラバラにして見えないようにしたいだけなんや」
センターの竣工は1970年。高度経済成長期には施設内にある「あいりん労働公共職業安定所」に多くの日雇い労働者たちが連日職を求めて集まった。柱や壁がなく吹きさらしだった1階は、労働者たちの溜まり場になっていた。食堂、喫茶店、売店、シャワールームなど、娯楽施設も充実しており、「労働者のための場」だった。
稲垣氏はセンターの建て替え案に異を唱える。
「今と同じものが建つんやったらええよ。でも、これからつくるのはただの事務所で居場所やない。シャワー室もなければ、娯楽室もない。これは釜ヶ崎(あいりん地区)の街づくりやなくてただの再開発や。労働者が幸せになるようなまちづくりをせないかんやろ」
建て替え案はまだ計画中であり、詳細は発表されていない段階である。
そもそもセンター周辺で寝泊まりしていた路上生活者はわずか15人ほど。彼らは2019年のセンター閉鎖時から稲垣氏が「避難用」として放置したバスの車内やゴミでつくったバリケードを屋根にして暮らしていた。
とある地元住民が強制執行の際に見た光景を明かしてくれた。
「撤去の前に警察側から『必要な荷物を取り出してください』というアナウンスがあったんです。すると何人かのホームレスが大量の空き缶が入った袋を救出していた」